2011年10月28日金曜日

ハムレット SCENE 10

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
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『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      
Scene 10
國王,ローゼンクランツ,ギルデンスターン 出る.王城の一室.
1  國王.  なんとも好かぬ,しかも穩やかならざること,
    あの物狂ひを放ち置くは.それゆゑ,支度を.
    二人の役目は直ぐにも認(したゝ)める.
    あれのイングランド行きに附き添(そ)へ.
    國を擔(にな)うこの身への,堪(こら)へ難き間近な危機.
    今や刻〻,あれの頭に募(つの)るとあらば.
  ギルデ. 是非お任せを.まこと尊くも氣高き御憂慮.
    民草こそは安かれと,陛下の許(もと)に,
    命營(いとな)む者どもへの思し召し.
  ローゼ. 身一つを養う者さへ,あらゆる力と智慧を鎧(よろ)ひ,
    己が命を守らんと.況(いは)んや國王の御心となれば,
    その安らぎの許(もと)に數多の命が.
    斃(たふ)るゝは獨(ひと)り王者に止(とゞ)まらず.
    水面(みなも)の渦(うづ),あたりを卷込むが如(ごと)
    まさに大いなる輪車,聳(そび)ゆる嶺の頂にこそあり,
    車軸に集(つど)ふ支へ木の夥(おびたゞ)しき組木どもゝ,
    轉(ころ)げ落つるや悉く,諸共音を立て碎け散る.
    世に獨り歎ける王無し,民も苦しみを分ちますからは.
  國王. 掛かれ,良いな,急ぎ船出に向け.
    直ぐにも足枷(あしかせ)を,あれの危ふき,
    餘(あま)りに氣儘(きまゝ)な足首に.
5  ローゼ. これより直ちに.            二人,退る.
ポローニアス 出る.
  ポロー. 陛下,王子がいよいよ母御のお部屋へ.
    壁掛けの裏に,こちらは潛(ひそ)み,その遣取りを.
    必ずや,お叱りもきつくにと.いや,仰せの通り,
    良くぞのお見通し.成程母御お一人の耳でより,
    他人の耳でこそ.兎角情けは贔屓目(ひいきめ)勝ちとも.
    脇(わき)より立ち聞くも,然(しか)る可(べ)きかな.
    では,お遑(いとま)を.後程陛下へは,御休み前に,
    聽き取つた事の總てを.              退る.
  國王. 禮を言ふぞ.
    おゝ,わが罪の臭ひ,今や天へまで.あの呪はしき,
    人の世の初めての罪,はらからを殺す,禱りもならず,
    如何に望めども,いや勝る罪は總(すべ)てを凌ぎ,
    あたかも二つの事を爲(な)さんとし,何(いづ)れを先にと機を逃す.
    縱(よし)や此の,呪はれし手が,兄の血糊に強(こは)張るとも,
    足りぬか,天の惠みの雨さへ,洗ひ流して雪の白さへ戾すには.
    誰への慈悲か,罪ある者に向けられずして.何だ,禱りとは,
    二つの力を持たぬなら,人に罪を犯させず,罪有る者へは,
    赦(ゆる)しを齎(もたら)さぬなら.ならば試せ.過ちは過ぎた出來事.
    が,あゝ,どう禱(いの)れば救ひがゝが.赦し賜(たま)へ,
    穢(けが)れた殺人をとか.いや,出來ぬ.この手にいまだ,
    兄を殺めて手にした物が.王の冠,我が野望,そして妃が.
    叶はぬか,罪を免れ,獲物を手許に置く事は.穢れに滿ちた,
    此の世でなら,罪に塗れた,手をも黃金(こがね)の鍍金(めつき)に覆ひ,
    正義をすらも退け得ように.良くある事では.邪(よこしま)な富が,
    法の定めを金で買ひ取る.が,天の許(もと)では,よも欺き得ぬ.
    行ひは,悉く在るがまゝ,洗ひ浚(ざら)ひが,罪の證(あかし)に.
    ならばどうする.試しに懺悔を,何が出來,何が出來ぬか.
    が,何になる,悔いる事も出來ぬ身に.おゝ,この樣(ざま)は.
    まさに心は死の暗闇に.魂は翼を失ひ,足搔くが程に,
    鳥黐(とりもち)が絡む.救ひを,天の御(み)使ひよ.
    さあ試せ.禱るのだ,頑(かたく)なゝ膝を折り,
    鋼(はがね)に等しい心の絲を,しなやかな,今生れ出た,
    赤子の手足の筋へと,變へるのだ.ならぬものとも.
ハムレット出る
  ハムレ. 今なら,やれる.奴は禱りの最中(さなか).さあ今だ.
    すれば奴は天國へ.これで仇(かたき)が.[短劍を靜かに拔く] 
    いや,良く,こゝは考へよ.惡黨(あくたう)が父を殺(あや)め,
    仕返しに,一人息子が,その惡黨を天國へ.
    何と,賴まれ仕事では.復讎ではない.
    殺められた時の父上は,悔い改めの禱りもならず,
    この世の穢(けが)れに塗(まみ)れしまゝで.
    罪の帳尻合せたる,はて,どれ程の科(とが)なるか,
    天のみぞ知る.が,知る限り,さぞや重くに.
    何の,これが仇討ちになど.魂を淸め澄まし,すつかりと,
    天の裁きに支度の出來た,敵(かたき)をあの世に送るなど.
    ならぬ.さあ,我が劍よ,なほ悍(おぞ)ましき時を待て.
    酒に醉ひ痴れ,または怒りに我を忘れた,その最中(さなか)
    或は道ならぬ色に耽(ふけ)り,母と閨(ねや)にある時にこそ.
    賭け事にのめり,惡態を吐(つ)き,何であれ,
    魂の救はれよう餘地無き時まで.そして送り出す.
    足裏が天を蹴り,その魂が,奈落の闇もさながらに,
    黑〻と染まる時,まさにその,奈落の底へと.
    [短劍を鞘に收める]母が待つ.禱りもほんの附け藥,
    病は長引くだけのこと.(註1)              退る.
  國王. 言葉は舞へど,思ひは地を這ふ.心無き言葉,
    決して天までへなど.                  退る.

King. My words fly vp, my thoughts remaine belowe
Words without thoughts neuer to heauen goe.


(註1) この場でクローディアスを殺害しないとしたハムレットの判斷は,今日しばしばハムレットの性格に特有の『不決斷』や『復讎への躊躇』として解説されるが,この芝居の枠組みからすれば,ハムレットの語る理窟に,全く破綻は無い.芝居自體が,天國や地獄や淨罪界の『實在』を前提としたものである以上,相手を『天國』へ送るとまでは言へぬにしても,聊かなりと罪を輕くするやも知れぬ事を避けるのは『復讎者』としては窮めて尤もな事である.『復讎』といふ觀點からすれば『上出來な斷念』と言ふ他は無い.たゞしクローディアスの臺詞自體は,神を試すなど,無心な敬神の念からの『禱り』とは,まつたく言ひ難い言葉に充ちてをり,觀客は,運命の皮肉を思つた事であらう.


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