2011年10月18日火曜日

ハムレット SCENE 5

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      
Scene 5
亡靈,ハムレット 出る.(註1)
1    ハムレ. 何處(いづこ)へと導くぞ,口を利け.行かぬ,先へは.
     亡靈. (しか)と聞け.
    ハムレ. ようし.
     亡靈. 我が時も間近に迫り,今やこの身を炎熱(えんねつ)の,
       焰(ほのほ)の責(せ)め苦(く)へ委(ゆだ)ねる時にと.
5    ハムレ. あゝ,痛ましや.
     亡靈. (あは)れむでない,が,心(こゝろ)して聞け,
       今,説(と)き明かす物語を.
    ハムレ. 語れ,聞かずには.
     亡靈. ならば必ずや,復讎への道,聞くとあらば.
    ハムレ. なに.
10    亡靈. 我はそなたが父の精靈.身の定めにて,
       暫(しば)し眞夜中に步(あゆ)み出(い)で,
       朝日の昇るや囚(とら)へられ,食を絶(た)ちて,
       焰(ほのほ)の直中(たゞなか),世に在りし日の我が罪を,
       燒き淸めん,その日まで.
       明かす勿(なか)れと掟(おきて)に無くば,その耳に,
       我が獄屋(ごくや)での有樣を.すれば僅(わづ)か一言で,
       汝(な)が魂は脅(おび)え戰(をのゝ)き,
       若き血潮も見る間に凍(い)てつき,
       兩の眼(まなこ)は流星の如,頭蓋(づがい)を飛去り,
       束(たば)ねし髮の結(ゆ)ひも解(と)け,
       一筋每(ごと)に突(つき)立つ様(さま)は,悍(おぞ)ましき,
       山あらしの棘(とげ)もかくやと.
       が,果(は)てなき國の物語,現身(うつせみ)の者の耳に,
       入れるはならぬ事.聞け,聞け,聞くが良い.
       もし心より,父を愛するなら.
    ハムレ. おゝ,何を言ふ.
     亡靈. (あだ)を討て,あの男の穢(けが)れたる,慘(むご)き殺人の.
    ハムレ. 殺人.
     亡靈. 殺人の,穢(けが)れの極(きは)み.もとより人を殺(あや)めるは,
       が,この穢れの稀(まれ)に見る,慘(むご)たらしさは.
15  ハムレ. その先を.翼を纏(まと)ひ,思ふや否やの念の働き,
       戀(こひ)の閃(ひらめ)きの素早さで,復讎を果たせるやう.
     亡靈. それでこそ.さなくば劣らう,肥え太る,彼(か)の雜草にも.
       黄泉(よみ)の國,忘卻(ばうきやく)の河リシーの水を吸ひ,
       惰眠(だみん)を貪(むさぼ)れる,もしや奮(ふる)ひ立たぬなら.
       さあ,ハムレット,聞け.皆知る如く,
       庭に微睡(まどろ)むこの父は,毒蛇の牙(きば)にかゝりしと.
       かくてデンマークは,擧(あ)げて僞(いつは)りの死の有樣に,
       見事,耳欺(あざむ)かれて.が,よいか,我が氣高き子よ,
       その毒蛇たる,父の命を奪ひし蛇が,
       今や首(かうべ)に王冠を.
    ハムレ. おゝ,やはりは圖星(づぼし)か,あの叔父が.
     亡靈. まさにあの,神の戒(いまし)めを踏み躙(にじ)り,
       同胞(はらから)の妻と契(ちぎ)りし獣(けだもの)
       邪惡な智慧と裏切の才を持ち,おゝ,邪(よこしま)な智慧と,
       (そな)はる才にて女を(たら)し,(おの)が肉慾を滿たさんと,
       (なら)び無き貞女(ていぢよ)と見えし,妃の心を手のうちに.
       おゝまた,何たる道の踏み外しを,ハムレット.
       この身は(おごそ)かな愛を抱(いだ)きて,片時(かたとき)忘れず,
       婚儀の誓ひを守りしものを,己れを貶(おとし)め,
       (そな)はる才も賤(いや)しき男の(もと)に降(くだ)るとは.
       まことの操(みさを)と言はうなら,夢にも心動かされまい.
       如何に淫(みだ)らな情慾が,天界の衣を纏(まと)言ひ寄らうとも.
       が,肉慾なるもの,たとへ眩(まばゆ)き天使と(ちぎ)れど,
       淸き天の臥所(ふしど)に飽(あ)いて,腐肉(ふにく)を漁(あさ)り始めるもの.
       いや待て.あたりにこれは,朝の香りが.事,短くに.
       あたかも庭に微睡(まどろ)むは,時晝(ひる)下りの我が慣(なら)ひ.
       心許せしその隙(すき)を,窺(うかゞ)ふそなたの,
       叔父の手にする小瓶(こびん)には,忌(いま)はしきヘボーナの搾(しぼ)り汁.
       やがて我が兩(りやう)の耳へと注(そゝ)ぎ入れたは,
       癩(らい)を發する,その滴(したゝ)り.この毒,效(き)き目は,
       人の血を冒(をか)し,素早さたるや水銀の,轉(ころ)げ行く如(ごと)
       血脈(ちみやく)といふ血脈を驅(かけ)(めぐ)り,
       つひには淸く健(すこ)やかなる血の流れ,突如として濁(にご)りを生じ,
       凝(こゞ)り固まる,その樣(さま)は,あたかも牛の乳,
       酢の滴(したゝ)りに凝(こゞ)るやう.まさに此の身も,その有樣.
       見る間にも,瘡(かさ)は膚(はだへ)に吹き出(い)だし,
       重き癩(らい)を病(や)む如く,見るも悍(おぞ)ましき,その形相(ぎやうさう)
       滑(なめ)らかなりし我が膚(はだ)を,隈(くま)無く覆(おほ)ふ,
       その醜(みにく)は.かくて假寢(かりね)に微睡(まどろ)むうちに,
       我が同胞(はらから)の手に懸り,命,王冠,妃まで,
       一時(とき)に奪ひ去られ,時もまさに現世(うつしよ)の,
       罪に塗(まみ)れしその盛り,死に行く者への聖なる饗(あへ)も,
       覺悟の時も,淸めの油も,悔い改むる遑(いとま)も無しに,
       靈界の裁きの廷(には)へと,有りと有る,拙(つたな)き罪を,
       身に帶(おび)しまゝ.おゝ,何と,その恐ろしさたる.
       心あらば,許すでは無い.王家の臥所(ふしど)を情慾と,
       獸(けだもの)どもの閨(ねや)とさせるな.
       が,如何に事を爲(な)さうとも,決して己(おの)が心は穢(けが)すな.
       また,母への危害は無用のこと.母は天の裁きに委(ゆだ)ね,
       己が良心の茨(いばら)の棘(とげ)に,苛(さいな)ませよ.
       さあ,行かねばならぬ.螢火(ほたるび)のかそけき光も,
       曉(あかつき)の間近さに,いよいよ薄れ行く.
       さらばだ,さらば,この身を忘るな.          退る
    ハムレ. おゝ,天の諸天使,大地の神よ.他にまだ.
       地獄の援けも.いや,莫迦(ばか)な.さあ,落著くのだ.
       五體の肉(しゝ)も,萎(な)えずと,さあ立て.
       忘るなと.おゝさ慘(みじ)めな亡靈よ.記憶の餘地(よち)が,
       この狂ほしき頭(つむり)の内にある限り.忘るなと.
       ならば,憶(おぼ)え遺(のこ)した悉(ことごと)く,
       好み記(しる)した由無(よしなし)事も,本の拔き書き,
       物の姿も思ひ出も,幼き日に見た有りと有る,
       寫(うつ)しの總(すべ)てを拭(ぬぐ)ひ去り,
       その戒(いまし)めをのみ,紛(まぎ)れぬやうに,
       書物に仕立て,殘し置かうぞ,それ,天に誓ひ.
       おゝ,何たる淺はかな女かは.おゝ,あの男,極惡の,
       笑(ゑ)みを湛(たゝ)へた,邪惡な惡黨(あくたう)
       さあ我が頭(つむり)よ,記(しる)し置け.
       微笑(ほほゑ)み澄(す)まし,惡黨たる,まさに尠(すくな)くも,
       こんな事が,デンマークではと.そうれ,叔父よ,
       書き留めたぞ.さあ,次は我が事.あの言葉.
       “さらば,さらば,この身を忘るな.” 誓つたぞ.
          ホレイショー マーセラス 出る.
20    ホレイ. 殿下,殿下.
    マーセ. ハムレット樣.
    ホレイ. 天よ,加護あれ.(註2)
    ハムレ. さうだ,よし.
    マーセ. ヤア,ホーイ,殿下.
25    ハムレ. ヒロー,ホウホウ,まるで鷹狩り,それ,この腕へ.(註3)
    マーセ. 御無事で.
    ホレイ. なにかお判りに.
    ハムレ. いや,素晴らしい.
    ホレイ. どうか,お聞かせを.
30    ハムレ. ならぬ,觸れ囘らうから.
    ホレイ. そのやうな.それは誓つて.
    マーセ. わたくしとて.
    ハムレ. どう思ふ,では.こんな事が誰の頭に.が,秘密は守るな.
     二人. はい,天に誓ひ.
35    ハムレ. 今やひとりの惡人も,デンマークに無し,
       ゐるは,ひとり只,大惡黨のみと.
    ホレイ. まさか亡靈が,墓を拔けてまで,
       それを傳(つた)へにとは.
    ハムレ. いや,まさにその通り.だからもう,肩肘張らず,
       ひとつ,握手を交(かは)して別れよう.
       いや二人にも,すべき事,したい事もあらう筈.
       誰とてすべき事したい事が,何くれと無く.
       こちらは,ならばだ,さう,禮拜(らいはい)にと.
    ホレイ. それでは,埒(らち)も取留めも,お言葉には.
    ハムレ. 濟まぬ,氣を惡くさせて,いや,心から.
40    ホレイ. いえ,何も惡くは.
    ハムレ. それが誓つて(聖パトリックに懸け),(註4)
       あるのだ,ホレイショー,大いなる惡が.
       で,例の幻,あれは善き亡靈であるとだけは.
       さぞ知りたくも,何があつたか,そこは堪(こら)へてくれ.
       ところで二人には友として,學者または武人として,
       一つだけ賴まれては.
    ホレイ. 何をと,殿下.勿論に.
    ハムレ. 決して漏(もら)すな,今宵(こよひ)見た事.
     二人. それは必ず.
45    ハムレ. いや,誓つてだ.
    ホレイ. 誓つて,わらくしは.
    マーセ. 同じく,わたくしも.
    ハムレ. この劔(つるぎ)に懸け.
    マーセ. もはや誓ひは,殿下,既(すで)にと.
50    ハムレ. わかるが,劔に懸け.
        亡靈 叫ぶ,張出舞臺のハムレットの眞下にて.(註5)
     亡靈. 誓へ.
    ハムレ. はゝ何と.そちらからも.そこにか,律儀にも.
       さあ,聞こえた通り穴倉の主(ぬし)が.どうか誓ひを.
        臺詞の間に,三人,舞臺を移動する.(註5)
    ホレイ. では,その言葉を.
    ハムレ. 決して漏さぬと,今宵見た事.誓ひを劔に.
        亡靈,ハムレットの眞下に移動し,叫ぶ.(註5)
55   亡靈. 誓へ.
    ハムレ. 神出鬼没か.ではひとつ,場所を變(か)へ.
       こゝへと,どうか.
        先ほどの位置から最も離れた場所へと移動する.(註5)
       で,手をまた劔へ.劔に誓ひ,決して漏さぬと,
       今宵耳にした事を.
       亡靈も舞臺下を移動し,ハムレットの眞下で叫ぶ.(註5)
     亡靈. 誓へ,劔に.
    ハムレ. よくまた鼹鼠(もぐら)爺,はて,穴掘りの早い事.
       達人か,城攻めの.も一度,動かうでは.
        先ほどの位置から,別の場所へ移動する.(註5)
    ホレイ. いやはて何と,これぞ世にも稀なるか.
60    ハムレ. だからこそ,客人(まらうど)には持成しをこそ.
       まさに幾らも天と地の間にはだ,ホレイショー,
       學問・知識の及ばぬ事ありだ.[半ば,冗談口]
       さ,こゝへ.で今一度,決してせぬと.
       どうか,慈悲と思ひ,如何にこの身の振舞ひが,
       奇妙であれ,いや,この後(のち)突飛な行ひも,
       爲さねばならぬが,それを目にしても,
       決してかうして腕を組むとか頷(うなづ)いて,思はせ振りに,
       いやいや,あれは,とか,知つてはゐるがとか,
       お許しあらばとか,そりや,言へるものならと,
       意味ありげな素振りなどの譯(わけ)知り顔は,
       せぬと誓つて呉れ.神の慈悲と御(み)惠みを,願はうなら.
        亡靈,ハムレットの眞下に移動し,叫ぶ.(註5)
     亡靈. 誓へ.
    ハムレ. 待て待て,せつかちな亡靈だ.
       さて,二方には心より,今の事,賴み入る.
       なに力も無きハムレットだが,いづれ神は,
       愛と親しみを籠(こ)め,二人に報(むく)い下さらう.
       さあ,では行かう.唇には手を宛(あ)てゝ.賴む.
       謂はゞ,時計仕掛けの繋(つな)ぎが爆(は)ぜたのだ.
       おゝ厄介な,生れついて,それを直すが役目とは.
       いや,こちらへ.さあ行かう.             退る.


(註1) 前場ホレイショーの危惧どほり,崖上を暗示して,二階舞臺を用ゐたかとも.

(註2) 原文は So be it.で,一行前のホレイショーの臺詞を受けてのものとも考へられる.つまり『天の加護を,同じく願ふ』の意となるが,この譯では,人〻の目を晦ますために,『佯狂』を決意した臺詞とした.

(註3) 鷹匠を眞似,事態を茶化す.『狂つた素振り』と言へよう.

(註4) 「誓つて」の原文は()内の譯文通り by Saint Patrick で,今日アイルランドの守護聖人となつてゐるローマン・カソリックの人物を指す.この聖人は,亡靈が今現在ゐると思しき『 Purgatory 淨罪界 ラテン語では Purgatorium』と深い關りを持つ.
 ところで『淨罪界』とは,明治の優れた譯語だが,今日では『煉獄』とされ,しかしこれでは元の意味合ひ『purge 淨化 ラテン語では purgatorius』の意が失はれてしまふ.新譯が優れてゐるとは限らぬ見本だが,それはさて…つまりハムレットは亡靈が,決して『地獄』の住人つまりは惡魔の化身では無く,『淨罪界』から出現したものだと言ひたいのである.
 では,『淨罪界』とは,何なのか.クリスト教では,死後人間は神の裁定により天國あるいは地獄へと振り分けられるが,この決定は絶對なものであり,たとへばひとたび地獄へ送られた者は,以後永遠にその場に止まる.如何なる契機によつても,天國へ移される事は無い.當然,また,天國へ振り分けられた者は,永遠に天國での新たな『生』を送る事となる.永遠にである.
 さうであるならば,人は皆,天國を望むのだが,これには嚴しい條件がある.つまり,如何なる面から見ても『清廉潔白』で,罪の缺片(かけら)も帶びぬ事が求められるのだが,クリスト教の言ふ『罪』なるものには,轉寢(うたゝね)などが含まれるなど,到底常人の達し得るところでは無い.
 つまり人間は,何らかの意味で『罪人』とならざるを得ない.この爲通常死に際しては,聖職者により樣〻な『秘蹟 sacrament』と呼ばれる儀式を施され,この世での罪を消滅もしくは輕減されて死後の世界に赴くのだが,何らかの事情により,この『秘蹟』を受けられぬまゝ命を失ふ事は起り得る.まさにハムレットの父王は,毒殺による急死の爲に,『秘蹟』を施される事無く,拙き日〻の罪に塗れたまゝ,命を絶たれた譯である.
 となると父王は,死後の神による裁定で『地獄』へ墮ちたのか.何らの『大罪』を犯さずとも,人は地獄へ墮ちざるを得ない事が起るのか.そこに『救ひ』を齎したものが,『淨罪界』といふ『存在』もしくは『考へ方』である.

          (些(ち)と,中斷をお許し願ふ.)


ローマン・カソリックの敎へるところ,死後,永遠なる『地獄墮ち』とはならぬものゝ,直ぐ樣は『天國』へ迎へては貰へぬ,主には日常の拙さに起因する問題を抱へた魂が,現世に於ける『罪』を燒き淨める苦業をする場が,淨罪界なのだ.ハムレットもさうと承知して,「聖パトリックに懸け」by Saint Patrick と述べた筈だ.
 この聖人は,かつてアイルランドにカソリックを擴め,ある島で purgatory が實在するとの啓示を受けたとされ,その島は,當時は勿論,今日に至るまでカソリックの巡禮地となつてゐる.
 しかしながら,ハムレットの芝居中 purgatory の語は一度も登場しない.といふのも purgatory に關しては,當時微妙な,時には身の危險を意識せざるを得ない問題があつた.ルターに始まり,當時のヨーロッパを震撼させた『宗敎改革』が絡むからだ.

 
 そもそも『宗敎改革』は,まさに purgatory が存在するか否かを巡る論爭に端を發したもので,プロテスタント側に立つイギリス國敎會(すなはち王朝政府そのものだが)は公式な布告(The Thirty-Nine Articles of Religion, 1563 )を出してまで,ローマン・カソリックの財政の一部を支へてもゐた『贖宥狀』と,その前提としての purgatory の存在を信ずる事は,下らぬ考へ方であり,聖書にはその根據となる記述は無い(a fond thing, vainly invented, and grounded upon no warranty of Scripture, but rather repugnant to the Word of God.)と否定してゐたからだ.

(註5) 原文には,初めのト書きしか無い.張出し舞臺下との遣取りを想像し,譯者が加筆した.いづれも,亡靈『役者』へのからかひである.舞臺下をハムレット(當時の筆頭俳優 Richard Burbage)の『氣紛れ(實は演戲であるが)』に合せて右往左往する亡靈役者(シェイクスピア自身が演じたと傳へられる.)を觀客に想像させる事で, 愉しませてゐると考へる.つまり comic relief そのものである.


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