2011年11月7日月曜日

ハムレット SCENE 20

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
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Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 20
[さて,芝居はいよいよ大詰めを迎へる.總ての主要な登場人物たちの運命が決る事となり,それによりデンマークは新たな時を迎へなくてはならぬ.はたしてハムレットの復讎は果たされるのか,クローディアスは第10場でハムレットが意圖したとほり確實に奈落(地獄)へ墮ち行くやうな死を迎へるのか否か,それはどのやうに,また,ガートルードはハムレットの言ふ「神の祝福を願ふ」(第11場)時を迎へるのか否か,ハムレットはポローニアスを過つて殺めた罪をどのやうに償ふのか,これらの疑問に對して,作者シェイクスピアは,『答へ』を呈示しなければならない.]

ハムレットとホレイショー 出る.[王城の廣間.日中]
1   ハムレ. それは良いとして,今一つの件だ.憶えてゐよう,
    事の次第は.
    ホレイ. 憶えてをります.
    ハムレ. それが妙に胸騷ぎがし,ひとを眠らせぬ.まるで,
    叛亂の罪で足枷(あしかせ)に繫(つな)がれた,水夫にも劣らうかと,
    咄嗟(とつさ)に,いや,この咄嗟こそ褒(ほ)むべきか,つまり,
    向う見ずも時には役立つ,巧(たく)んだ末にも躓(つまづ)くものなら.
    いや,さうなのだ,事は天なる神が仕上げる,荒削りまでは,
    人が爲(な)さうと.
    ホレイ. それは,まさに.
5   ハムレ. で,船室を拔け,身には水夫のガウンを纏(まと)ひ,
    闇の中,手探りで連中を見附け,望み通り,
    この手に,その小荷物を.そして事無く船室に戾つたが,
    この大胆さに,臆病風も吹く間を忘れ,封を切つた,
    件(くだん)の國書の.そこにはだ,ホレイショー,
    止(や)ん事無き惡巧み,まさにも命令に,
    あれやこれやの理窟で味附けし,
    この度デンマークの安泰及びイングランドの爲として,
    さてまた,何たる災難か,一讀の上は時を隔(へだ)てず,
    まさにも斧(をの)を硏(と)ぐ間も置かず,この首を,
    打ち落せとあつた.
    ホレイ. そんな事が.
    ハムレ. これぞ,その國書.後程讀むが良い,
    が,後の事を,聽きたくは.
    ホレイ. はい,是非に.
    ハムレ. かくてあたりは惡黨だらけ,前口上もあらばこそ,
    既に芝居は次ぎの場へ.こちらは腰を据ゑ,新たな國書を,
    見事書き上げた.かつては代議士連中同樣,手習ひなどは,
    下〻(しもじも)の技と,努めて稽古の手を忘れようと.
    が,この時は,それが大事な下働きを.
    どうだ,出來映えを知りたくは.
10   ホレイ. はい,どうか.
   ハムレ. こゝに,心よりの要望を,國王より.
    イングランドは,かつて誠實なる我が屬國にして,
    兩國友愛の情は,棕櫚(しゆろ)の葉,盛り行く如く,
    和平の女神,なほも實りの麥の冠(かむり)を著け,
    兩國親善の仲立ちなれば,などゝ盛り澤山に熱を籠め,
    決まり文句を列べた後に,詮儀一切無用にて,
    書狀持參の者らを,直ちに,處刑せよ,
    懺悔の遑(いとま)も,與(あた)へるべからずと.
  ホレイ. 國書の封緘(ふうかん)は.
  ハムレ. それが,これぞ天の配劑か,父の指輪の印が隱しに.
    まさに,國王の印を象(かたど)つたもの.
    で,書狀の疊み目も元の通りに,署名し印を捺し,
    元の場所へ,掏(す)り替へを知られる事無く.
    さて,次の日はあの,海での戰ひ,何が起きたかは,
    知つての通りだ.
  ホレイ. と,ギルデンスターンとローゼンクランツは,
    そのまゝ.
15 ハムレ. 奴らの事では,胸は痛まぬ.いづれ結果は自らの,
    媚(こ)び諂(へつら)ひから.危ない事だ,小者が出步き,
    まさに,鎬(しのぎ)を削る大物同士の間に立つなど.
  ホレイ. また,何たる王か.
  ハムレ. もはや,どうだ,かうなれば,受けて立つ他は.
    相手は,我が父王を殺し,母を穢(けが)し,
    この身の,王位に選ばれよう望みに立ち塞がり,
    罠を仕掛け,この命までも.そんな事をされたなら,
    當然の事ではないか.
        廷臣(オーストリック)出る.
   廷臣. (おん)殿下には,まこと良くこそ,デンマークへ,
    御(おん)お戾りに.
  ハムレ. これは恐れ入る.知つてか,この,水トンボ.
20 ホレイ. いえ,知りませず.
  ハムレ. さて,羨ましき御身分かな,知れば最期だ.
    あれは大地主,大層な數の家畜持ち.
    いや,成るなら獸(けもの)も,その主(あるじ)にと.
    王との會食に,飼葉桶が竝(なら)ぶ身分にも.
    ありや,口眞似鴉(からす),いや,寧(むし)ろ,
    泥集めの場所取り男か.
   廷臣. 殿下には,もし御(おん)暇あらせられゝば,
    いさゝかの御言葉を,陛下より.
  ハムレ. 伺はう,全身全靈を傾けつ.その帽子だが,
    あるべき處へ,被りものゆゑ.
   廷臣. 恐れ入ります,お暑いもので.
25 ハムレ. いや,なに,大層寒い.風も北からだ.
   廷臣. はい,そこそこには,お寒くも,まこと.
  ハムレ. が,やはりはひどく,ベタつく暑さ,いや,
    體質ゆゑか.
   廷臣. すこぶるに,はい,ひどいベタつきやう,
    いはゞ,その,曰(いは)く言ひ難く.で,その,
    陛下は私をして,詳(つまび)らかにせよと,で,すでに,
    大層なる賭けものを,あなた様のお頭(つむり)の上に.
    と申しますのは.
  ハムレ. 賴んだでは.[帽子を被れと.]
30 廷臣. いえその,殿下,この方が,はい,全くに.
    で,この度新たに王宮へ,レィアティーズ殿が.
    まさに,完璧なる武人,總て極上の資質を湛(たゝ)へ,
    熟(こな)れたる社交性,優れたる容姿,申しませうなら,
    あれぞ武人の羅針盤とも,道標(みちしるべ)とも.
    その行く手には,お目指しの,武人の具(そな)ふべき,
    項目悉くが,目録の如く.
  ハムレ. さて,御案内には何一つ,漏れもあるまい,
    が,しかし,帳簿張りの列べ立て,記憶の算盤(そろばん)が,
    眩暈(めまひ)を起さう.しかも,こちらは,取り殘し,
    あれの船脚(ふなあし)の早さには.が,眞實褒めてだが,
    あれこそ見事な器量の極み.その一身は,
    得難く稀なるばかりとは.在りのまゝに言はうなら,
    あれを眞似られるは,鏡のみ.だれが一體,
    追ひ着けよう,その影法師の他,なし得まい.
   廷臣. 殿下のお言葉,まこと缺(か)けたるは,ござ無くに.
  ハムレ. で,御眼目は.何故その武人の飾り立てを,
    殊更互ひの貧相な,言辭(げんじ)でか.
   廷臣. とは.
35 ホレイ. はて,判らぬかな,他人(ひと)の口からの,
    飾り言葉は,それ.判らうに.
  ハムレ. 何ゆゑ,この武人の御芳名を掲げてか.
   廷臣. レィアティーズの.
  ホレイ. 言葉の財布も最早,空.金ぴか物は種切れに.
  ハムレ. あれのだ.
40 廷臣. いえ,御認識無き筈はと.
  ハムレ. さう,筈はないが,まこと,だからとて,
    自慢にも,それで.
   廷臣. 御認識無き筈は,如何にレィアティーズ殿が,
    優れたるかは.
  ハムレ. それを言ふ譯には.自惚れたくは無い.
    他人(ひと)を優れたりとは,すでに己れこそ,
    優れしと言ふに等し,と言はうでは.
   廷臣. いえその,この劍の.世の評判からは,
    腕前,双ぶ者無しと.
45 ハムレ. 何を使ふ.
   廷臣. 細身と短劍を.
  ハムレ. 二刀構へか,が,それで.
   廷臣. 王にはあちらへ,6頭のバーバリーの馬を賭け,
    對してあちらが張りましたのは,たしか,六振りの,
    フランス物の細身と短か刀(がたな)と附屬の革帶と,
    劍の吊り具かと.その三對の懸架(けんか)具たるや,
    實に惚れ惚れとする,まこと,握りの造りに大變適ひ,
    まさに,繊細なる懸架具,でゐて,豪放な拵(こしら)へで.
  ハムレ. 何だな,ケンカグとは.
50 ホレイ. いづれ,註釋無しでは收まるまいとは.
   廷臣. 懸架,つまり,劍を吊り下げる.
  ハムレ. その言ひ囘しが相應しいは,腰に大砲でも,
    ぶら下げよう時.どうか吊り具と,今は願ふ.
    が,六頭のバーバリーの馬には,六振りの,
    フランスの劍と附屬の品に,豪放な拵への吊り具とは,
    これぞ,フランス仕掛けし,デンマークとの闘ひか.
    何にと,これを,その,張つてなのかな.
   廷臣. 王には,はい,十二本の手合せのうち,
    あちらの優位は,三本を超えまいと.あちらは,
    十二本の中(うち),九本を取ると賭け,ならば早速に,
    手合せをと,もしも殿下が,これに御應へ下さらうなら.
  ハムレ. で,その,答へが否となら.
55 廷臣. つまり,いえ,手合せで,相手に應へてと.
  ハムレ. では,廣間を步いてゐようから,御所望なれば,
    こちらは稽古の時刻でも.細身の劍が運ばれ,
    相手もお望み,そして王もその氣なら,
    勝ちを獲つても差し上げようが,負けてこちらの,
    手にするものは,名折れと打たれ傷か.
   廷臣. では,お受けにと,持ち歸つても.
  ハムレ. どのやうにでも,飾り附けも存分に.
   廷臣. 有難き此の勤め,殿下の御(おん)爲に.    退る.
60 ハムレ. 有難いとは,己(おの)れの勤めへか.他からは,
    有難がられまい.
   ホレイ. タゲリ(田鳧)の老成(ませ)た雛よろしくに,
    卵の殻を,頭に走つて.
   ハムレ. 赤子の時には乳房(ちぶさ)にさへも,辭儀(じぎ)した口だ.
    あゝした手合ひ,いやそれが,群れを成し,下らぬ今の,
    世に持て囃(はや)されて,只〻洒落た物言ひと,上邊の人附合ひを,
    身に附けて.あぶくの寄せ集めだ.かくして連中は,
    とことん如何にもの,見下げ果てた御意見を作る.
    ひとたび息を吹掛けるだけで,泡は消え去るに.
            貴族 出る.
  貴族. 殿下,陛下には先ほどオーストリックを遣はされ,
    あれによれば,廣間にて待たれるとの事,ついては,
    今,レィアティーズと手合せなさるか,
    時間を取られませうかのお言葉をと.

[Q2では,こゝで,前(さき)の廷臣の『名』が Ostricke であると明かされる.さぞや ostrich (この時代では『駝鳥』の意ではなく,鳥一般を指したやうだ) を聯想させる身形,仕種であつたのだらう.ホレイショーが Lapwing タゲリ(田鳧) とも形容してゐるほどである.觀客は如何にもの『名』に,可笑しみを覺えたに違ひ無い.]

  ハムレ. こちらは構はぬ.いづれ,御(ぎよ)意のまゝに.
    宜しくば,こちらは何時でも.今でも何時にても.
    たゞしは調子が,今のやうなら.
65 貴族. 國王竝びに女王をはじめ,方〻も直ぐに.
  ハムレ. それは幸ひ.
  貴族. 女王樣には,是非あなた様より宜しき御挨拶を,
    レィアティーズへ,お手合せまへにと.
  ハムレ. (かたじけな)き,お言葉か.
  ホレイ. これは,負ける事に.
70 ハムレ. さうは思はぬ.あれがフランスにゐる間,
    こちらも缺(か)かさず稽古を.勝てよう,あの賭率なら.
    が,判るまいが,何やら厭な,思ひが胸に渦卷いて.
    いや,何の事は無い.
  ホレイ. いけませぬ,それは.
  ハムレ. なに,莫迦なことだ.言ふなれば,ほんの氣懸かり.
    たぶんは取亂さう,女なら.
  ホレイ. 心染まぬなら,隨がつてこそ.まづは,お越しを止め,
    今は折惡しと傳へませう.
  ハムレ. 要らぬ事.氣にもならぬ胸騷ぎ.神の思し召しは,
    一羽の雀,地に落つるにさへ.それが今なら次は無し.
    まだ來ぬものも今來よう.今でなくともやがて來る.
    心構へこそ總て.誰とて爲(し)殘す事はあらうに,
    どれを今更,爲殘せと.知らぬ.
      卓の用意と,トランペットとドラムに連れ,
    クッションを運ぶ侍者たち.國王,女王,および皆〻,
     手合せ用の劍,短劍,そして,レィアティーズ 出る.

[これまでの經緯からして,ガートルードのみ硬い表情,尠くも無表情と考へる.ガートルードは第18場のハムレットからの手紙により,クローディアスの劃策したハムレット暗殺の企みの顚末を知つてゐる筈である.一方クローディアスの方は,これまでにも無く,上機嫌であらう.]

75 國王. こゝへと,ハムレット,さあ,この手を取れ.
  ハムレ. 許して貰ひたい,濟まぬ事をした.が,許しを,
    武人たる者の,心を示し.皆の知るとほり,また,
    そちらも聽き知らう,どれほど此の身が自(みづか)らの,
    酷い亂心(らんしん)に惱んでゐるかを.
    我が身の仕業(しわざ)が,そなたの心と名譽を傷附け,
    深い苦痛を與(あた)へたは,まさにいづれも,狂氣の仕業.
    ハムレットは惡意から,レィアティーズを.
    いゝや,違ふ.もしハムレットが己れを見失ひ,
    我れ知らずして,レィアティーズを傷附けたとしても,
    それは,ハムレットの爲した事ではない,それは違ふ.
    誰が,では.その狂氣がだ.ならば,ハムレットも,
    傷附いた者のひとり.狂氣は哀れなハムレットの敵.
    どうか,惡意は無しとの辯明(べんめい)を,
    その寛(ひろ)やかな心に受け容れ,あれは,
    放てる弓矢が甍(いらか)を超えて,はらからを,
    傷したものと思つて欲しい.

      [『狂氣』は『復讎の嚴命』と讀み替へ出來ようか.]

  レイア. 今やそれは,承(うけたまは)つて.
    固(もと)より強き復讎の念に驅られる事なれど.
    が,事我が名譽については,別の事.
    未だ承服致す譯には,人の譽れに,
    通じた方〻よりの御意見と,先例に照らし,
    我が名を穢す事なきを.が,それまでは,
    友好の申し出を,お言葉通りに受け,
    無とは致しませぬ.
  ハムレ. 有難き事と.では,友はらからの,心置きなの,
    手合せを.稽古刀をこちらへ.
  レイア. それ,こちらへも.
80 ハムレ. 劍捌きの,手本を願ふ,レィアティーズ.
    こちらは夜空の役となり,星たるそなたは,
    更にも輝かう.
  レイア. おからかひを.
  ハムレ. いや,まさに.
  國王. 二人に手合せの劍を,オーストリック.
    さて,ハムレット,これが賭だとは.

   [ハムレットへの語り掛けは,氣を逸らさせて,レィアティーズに劍を選ばせる爲であらう.]

  ハムレ. それは,存じて.王には好條件を弱き方へと.
85 國王. 案じてはをらぬ.二人の手竝(てなみ)は知つてゐる.
    が,あちらは上手(うはて).それゆゑ,賭に差を.
  レイア. これは重すぎる.ひとつ他のを.
  ハムレ. これが良ささうな.どれも,同じ長さかな.
  オース. はい,それは.
  國王. さあ,ワイン差し [複數]を,あの卓に.
    もし,ハムレットが一戰目,または二戰目を,取るか引分けて,
    三戰目に持ち込まうなら,悉くの城壁は,大砲を放て.
    王は杯を傾けて,ハムレットの健鬪を讚へ,その杯に,
    瑪瑙の玉を投じよう.更にも勝(まさ)らう,四代の,
    デンマーク王の戴いた,冠(かむり)の寳玉に.
    寄越せ,杯[cups]を.さあ,太鼓手はトランペットに吿げ,
    トランペットは砲手を促し,大砲は天へ,天は大地へと.
    では,王が飲む,ハムレットの爲に.それ,始めよ.
         トランペットの吹奏を插み.
    よいな,審判[複數],目を凝らせ.
90 ハムレ. いゝぞ,さあ.
  レイア. さあ,どうぞ. 
         [二人闘ひ,ハムレットが勝つ.]
  ハムレ. 一本.
  レイア. いや.
  ハムレ. 審判.
95 オース. 入つて.まこと申し分無く.
          ドラム,トランペット,大砲の音.
  レイア. よし,次へ.
   國王. 待て,こゝへ,酒を.ハムレット,この寶玉は,
    そなたのもの.それ,健やかなれと.[瑪瑙を杯に入れる.]
    あれへ,杯を.
  ハムレ. まづ,この一番を終へ,それまでは.
        [再び闘ひ,ハムレットが勝つ.]
  ハムレ. それ.また一本.どうだ.
100 レイア. 今は,たしかに.
    國王. 我が子が勝たう.
    女王. あれは太り肉(じし),息も切らせて.
    これを,ハムレット,このハンカチで額の汗を.
    女王が飲み干す,そなたに幸あれと,ハムレット.    

[ガートルードがハムレットへの『祝福』を申し出る.第11場 でハムレットから And when you are desirous to be blest, Ile blessing beg of you, 「さう,ご自身が心から神に祝福(赦し)をと求められた時,母上からの『祝福』を乞ふ事に.」と退けられた『祝福』をこゝで與へる.ガートルードは,ハムレットからの手紙により,クローディアスがハムレットの殺害を圖つた事を知らされたものと考へられ,それを機に,悔悛したものと言へる.ハムレットはガートルードが心からの『悔悛』を決意したと取り,禮の言葉ではなく Good Madam.  とそれに應じるのだ.かくして亡靈の,またハムレットの希望の一つは果たされた.ハムレットの『荒削り』が,功を奏し始めたのである.たゞその時にガートルードの手にした杯は,クローディアスにより毒が盛られたものであり,思はぬ結末を迎へるのであるが.]

  ハムレ. 受けませう.
   國王. ガートルード,飲むでない.
105 女王. 是非に,これは.どうぞ,お許しを.
     [ハムレット跪き『祝福』を受ける,と譯者は考へる.]
   國王. [傍白]あれには毒が.もう遲い.
  ハムレ. わたくしは,まだ飲まず,その内に.
   女王. おいで,そなたの顔を,拭は[さ]せておくれ.
  レイア. 陛下,必ず次は.
110 國王. さうは思へぬ.
  レイア. [傍白]が,心には,咎めるものが.
  ハムレ. さあ,三番目を,レィアティーズ.
    どうやら力を拔いて.賴むから,突くなら本氣でだ.
    こちらを,からかふ氣だらうが.
  レイア. ならば,さあ. [激しく闘ひ,引き分けとなる.]
  オース. 止め,勝負なし. 
     [別れ際,レィアティーズ,ハムレットを襲ふ.]
115 レイア. これで,どうだ.
     [ハムレットに傷を負はせ,二人,再び鬪ふ.]
 國王. 分けよ,ともに逆上を. 
     [この間にハムレット,相手の劍(毒劍)を奪ふ.]
  ハムレ. いゝや,さあ,來い. 
     [闘ひ,レィアティーズに傷を負はせる.]
  オース. あれを,女王の御樣子が.
  ホレイ. お二人,血を流し.どうされて,殿下.
120 オース. どうした,レィアティーズ.
  レイア. なに,間拔けた山鴫(しぎ)が,己れの罠にだ,
    オーストリック.命を絶たれるも,己が裏切りゆゑ.
  ハムレ. どうした,女王は.
  國王. 氣を失うてだ,血を目にして.
  女王. いえ,違ふ,お酒,あのお酒で.おゝ,私のハムレット.
    お酒に,毒を盛られて.[息絶える.]
125 ハムレ. おゝ,卑劣な,それ,扉を閉ざせ.謀叛だ,
    探せ,下手人を.
  レイア. こゝにと,ハムレット.あなたのお命は無い.
    如何なる藥も效きませぬ.もはや小半刻(こはんとき)と無き命.
    陰謀の道具はこの手に,先を尖らせ,毒が塗られて.
    その企みが,そのまゝこの身に.それ,かうして倒れ,
    二度と立てず.母上は毒で命を.もう駄目だ.
    王が,王にこそは,その罪が.
  ハムレ. 切つ先に毒までも.ならば,もう一働きせよ.
       [毒劍で王を傷附ける.]
  皆〻. 謀叛だ,謀叛だ.
  國王. おゝ,守つてくれ,誰か.たゞの手傷だ.
130 ハムレ. さあ,不義と殺人の,罪持つデンマーク王.
    飲み干せ,毒を.貴樣の瑪瑙では.續け,我が母に.
       [國王,絶命す.]

[ハムレットは, こゝで Follow my mother. 「續け,我が母に.」とクローディアスに言ひ渡すが,これをもつてガートルードともども「地獄へ墮ちよ」の意と取る向きがあるが,如何なる死者であれ,はじめに赴くのは,地獄でも天國でも無く,亡靈の臺詞にあるやうに,死後の裁きの廷(には)である.そもそも人間自身には,死後の世界のあれこれを,選ぶ手立ては無い.]

  レイア. あれぞ,まさに,身の報い.毒は自らが練り上げの.
    互ひの罪を許し合ひたい,我が王子ハムレット.
    この身と父の死が,あなたを罪せず,
    この身も同じくにと.        [息絶える.]
  ハムレ. 天がそなたに,赦しをと.こちらも直ぐ行く.
    今や死が,ホレイショー.憫れな女王,お別れを.
    皆,また,蒼褪め,震へてゐるでは.黙(だんま)り芝居の,
    役者連か,それとも見物の.時がさへあれば,何しろ,
    黄泉の國の捕り手は容赦無し,おゝ,話したい事も,
    が,今は,はや.ホレイショー,これまでだ.
    どうか永らへ,この身のまことを,譯知らぬ者たちの耳に.
  ホレイ. いえ,わたくしには.デンマーク人であるよりも,
    寧ろ古(いにしへ)のローマ人(びと)たらん.こゝにまだ,
    殘りの酒が.
  ハムレ. 男なら,寄越せ杯を.離せ,いいや,許さぬ.
    おゝ,賴む,ホレイショー,何たる汚名が今や殘らう,
    世を去りし後に.もしや此の身を思ひ遣らうなら,
    暫し安らぎの時から離れ,この荒(すさ)んだ世に,
    辛き命を永らへてくれ,この身の眞(まこと)を語り繼ぐ爲に.
        進軍の樂音等,遙かに聞こゆ.
     何だ,あの,騷はぎは.
         オーストリック 出る.
135 オース. 王子フォーティンブラス殿,遠征軍を率ゐ,
    ポーランドより戾られ,イングランド大使一行へ,
    禮砲を放たれて.
  ハムレ. おゝ,いよいよ,ホレイショー,凄まじき毒が,
    意識を奪ひ去る.もはや保つまい,イングランドからの,
    知らせを聽くまで.が,言ひ遺し置く,
    王位はフォーティンブラスの上にと,
    これが遺言と傳へてくれ.事の仔細も,これまでの.
    もはや,黙るほか.     [ハムレット,息絶える.]
  ホレイ. 氣高きお心も,今や散り.お休みを,愛しき殿下.
    飛び交う天使よ,安らぎの歌を.あれは.
         ドラムの音が近附いて.
      フォーティンブラス,大使たちとともに,出る.
  フォー. どこだ,その場所は.
  ホレイ. 何を御覽になりたいと.歎きと悲しみの總てなら,
    こゝに.
140 フォー. (しかばね)の數が,その凄まじさを.驕れる死神よ,
    如何なる宴(うたげ)を奈落でと.これほど多くの貴人の命を,
    一撃でとは.
  大使. この慘たらしさ.我がイングランドよりのお知らせも,
    遲すぎた.聽かれる方〻の耳へは屆き得ず,
    御命令を果たし,ローゼンクランツとギルデンスターンの,
    死をお傳へしても,何方(どなた)にお褒め戴けませうや.
  ホレイ. 何も,王からは,もし今も,生きてありませうと.
    それは,王からの命ではありませず.が,今,奇しくも,
    血腥き場へ,こちらはポーランド遠征から,
    こちらはイングランドからいらしたからは,
    どうか命じられ,これらの遺骸を壇上高く,見やすき處へと.
    そしてわたくしから,まだ譯知らぬ世の人〻に,
    事の經緯(いきさつ)を.すれば,この,
    不義と血腥き非道な行ひと,まさかの裁きと思はぬ殺害,
    企みにより強ひられたる死と,そして更には,目論見が外れ,
    企みし者たちの頭上に降り落ちた,それらの顚末.
    すべてを有りのまゝ,お話出來ませう.
  フォー. 直ぐにも聽かう.それと,諸侯らをその場へと.
    この身は悲しみつゝも,これを天の惠みへと.
    聊かは,この王國の行方には,關りを持つ.それを今,
    明らかにして置きたい.
  ホレイ. その事につき申し上げる事が.王子のお言葉ゆゑ,
    お力添となりませう.が,先ほどの事をすぐにでも.
    今は人心も荒(すさ)み,この上の陰謀や過ちを生まぬ爲に.
145 フォー. さあ,隊長四人で,ハムレットを武人として壇上へと.
    いや,まさしくも,位を得なば,さぞや秀でし王に.
    安置への間,軍樂を奏し,禮砲を高らかに響かせよ.
    他の遺骸は片附けよ.この有樣も,戰の場(には)であれば,
    が,こゝにはそぐはぬ.直ちに禮砲をと吿げよ.
                           全員退場.