2011年10月25日火曜日

ハムレット SCENE 8

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      
Scene 8
國王,女王,ポローニアス,オフィーリア,ローゼンクランツ,
ギルデンスターン,貴族ら 出る.[前場の翌日]
1     國王. と,如何に話を差向けても,聞き出せぬと.
         何ゆゑ心亂れた振舞ひで,己が穩やかなるべき日〻を,
         搔き亂すのか,荒(すさ)んだ危ふき物狂ひの譯(わけ)
      ローゼ. 御自身も,常ならぬ事だとは.が,何が元でとは,
         たゞの一言も.
      ギルデ. また,如何にも穿鑿(せんさく)無用と,巧みに狂つた素振りで,
         話を逸らされて.お心のうちを,どうかと持ちかけましたが.
       女王. 快くは迎へてか.
5    ローゼ. まさにも,作法正しくに.
      ギルデ. が,自らに強(し)ひてとは.
      ローゼ. お言葉,疎(うと)まし氣に,が,尋ぬれば,まこと,
         お心開かれて.
       女王. 誘うてか,慰みごとへは.
      ローゼ. それが折良く,芝居の一座に道すがら遇ひ,お傳(つた)へするに,
         見るから嬉し氣に聞かれ.一座もお城に着き,恐らく既に命を受け,
         今宵,芝居を王子へと.(註1)
10  ポロー. まさにそれを.私へは,是非御二方樣に催(もよほ)しを御覧戴きたくと.
       國王. 望むところ,いや,慶ばしい,あれがさうとまで.
         二方には更に縒(よ)りを掛け,あれを氣晴しへと向かはせよ.
      ローゼ. 必ずや,陛下.           ローゼ.とギルデ.退る
       國王. さて,ガートルードや,そなたも奧へ.すでに,それとなく,
         ハムレットを呼び出し,あたかも偶然オフィーリアと,
         出逢はう手筈に.ポローニアスとこの身とは蔭から窺(うかゞ)ひ,
         出逢ひの樣子を吟味する.あれの振舞ひが,
         戀の病(やまひ)によるものか否か,物狂ひの譯を.
       女王. 仰せに從ひ.では心より,オフィーリア,お前の淸らな美しさこそ,
         幸ひに,ハムレットの振舞ひの源なれと.ならばいづれ,
         お前の美德が,元の道へと立ち還(かへ)らせ,
         やがては二人の爲にともならう.
10  オフィ. まこと,願はくは.               女王,退る.
      ポロー. オフィーリア,こゝへ.陛下には,どうか私と物蔭へ.
         讀んでだ,この本を.禱(いの)りの下復習(したざらへ)なら,
         ひとりでゐたとて.良くないとは言へ,これが一番.
         眞(まこと)めかした敬虔な,身振り素振りの砂糖掛け,
         惡魔の身も隱す.
       國王. [傍白]おゝ,その言葉.何と鋭き笞(むち)の一打ち.
         賣女(ばいた)の頰とて,紅(べに)や脂粉(しふん)の塗り隱し程,
         醜くゝは.我が行ひの噓に固めた素顔より.何たる重荷か.
そこへ,ハムレット出る.
      ポロー. それ,足音が,お隱れを.
      ハムレ. 生きるのか,死か,事は其處にこそ.
         たとへ心氣高くに,ひたすら襲ふ弩(いしゆみ)や,
         矢彈の如き酷(むご)き定めに耐へ,或は武器を手に,
         海原をなす苦難に眞向かひ,これに抗(あらが)ひ,仕留めやうと.
         死して眠る,ならば終る.眠るなら心の痛みも,山をなし,
         人を苛(さいな)む苦しみも消える.まさに,終(つひ)の願ひが,
         叶ふでは.死して眠れば.眠る,と,時には夢を.
         そこに仕掛けがゝ.死しての夢は如何にかと,
         いづれは朽(く)ちる身を免れた後(のち)を憂ひ,人は躊躇(ためら)ふ.
         爲に,禍(まが)〻しき命であれ,引き摺(ず)り生きる.
         でなくば誰が忍ばうか,笞打つ如き他人(ひと)の譏(そし)りや蔑みを.
         壓政(あつせい)者どもの不正,驕(おご)れる族(やから)の人扱(あしら)ひ,
         潰(つひ)えた愛の苦しみや,法の間だるさ,役人どもの押柄や,
         にべもなき,賤(いや)しき族の侮(あなど)りを.
         望むなら,けりは附かう,ほんの短劍一突きで.
         誰が一體重荷を背負ひ呻(うめ)きつゝ,汗に塗(まみ)れて,
         憂き世を忍ばう.たゞ,死して後(のち)への悍(おぞ)ましさから.
         知られざる國,旅立てる者の誰一人,いまだ戾らず,
         爲に心は亂(みだ)れ,この忌まはしき世にも堪へ,
         知らぬ土地へは踏み入らず,かくて分別が,人を臆病に.
         決意の鮮やかな色合ひも,蒼白き物思ひの色へと暮れゆき,
         優れて時の勢ひに乘る企ても,流れの向きを變へ,
         事の名分も色褪せる.いや待て.美しきオフィーリア.
         妖精よ,禱りのうちに,わが罪の赦(ゆる)しをも.
20     オフィ. これは殿下,このところ,いかゞ御過ごしのことゝ.
      ハムレ. いや,虞(おそ)れ入る.どうにかは.
      オフィ. 殿下,こゝに思ひ出の品〻を.豫(かね)てより,
         お返し致したくと.どうか,お受取りを.
      ハムレ. いや知らぬ.物など遣(や)らぬ.
      オフィ. 虞(おそ)れながら,お覺えあらうと.品〻も,
         甘やかな吐息の運ぶお言葉にこそ,更にも貴く.
         香りも失せた今,お取り上げを.誇りを恃(たの)まば,
         寳(たから)もたゞの石.送り手の方〻が,つれなきからは.
         そちらにと,殿下.(註2)
25   ハムレ. は,は,お前は正直か.
      オフィ. それは.
      ハムレ. こゝろ,清らと.
      オフィ. 何をお尋ねかゞ.
      ハムレ. ならばその,清らな心の連れとはするな,
         お前の美しさを.
30     オフィ. 美しさとなら,清らなこゝろとこそ,
         良き儕(ともがら)にでは.

      ハムレ. ところが,美しさなるもの,清らな心を,
         手も無く賣女(ばいた)に作り變へる.清き心が,
         美を儕(ともがら)とする遑(いとま)も無き間に.
         これも昔は皮肉の類ひと.が,今の世がそれを,
         證(あか)しゝて.かつてはお前を,愛(いと)しくと.
      オフィ. いかにも.お言葉を,そのまゝ信ぜよと.
      ハムレ. 眞(ま)になど受けぬもの.眞心とやらを插し木にしたが,
         親木の性(さが)が,消えてくれぬのだ.[母親への嫌みである.]
         愛したことなど,無い.
      オフィ. 私は,欺(あざむ)かれてと.
15    ハムレ. 行け,尼寺へ.何を望んで罪人(つみびと)を,増やしたがる.
         こちらは竝(なみ)の善人だが,咎(とが)め立てれば罪は切り無し.
         母が生まずにゐてくれたならと思ふ程.氣位が高く,
         ものを根に持ち,野望を抱き,その罪科(つみとが)は,
         列べ立てよう術(すべ)も無く,思ひ描きも,手を染める,
         遑(いとま)も無きほど.何をさて,こんな輩(やから)が,
         天地の間(あひ)を這(は)ひ囘り,しようと言ふのか.
         人は惡黨(たう),誰も彼も.信ずるでない.目指せ,尼寺へと.
         どこだ,おまへの父は.
      オフィ. 家に,はい.
      ハムレ. 外へは出すで無い.あの阿呆振りは屋敷の中でだけに.
         ではこれで.
      オフィ. おゝ,あの方に,救ひの御(み)手を.(註3)
      ハムレ. もし嫁(とつ)ぐのなら,ひとつ,この,呪ひの言葉を持參にと.
         身の固きこと氷の如く,淸き白雪(しらゆき)ならうとも,
         蔭口の種,附き纏(まと)はんと.行け,尼寺へ.ではだ.
         それでも嫁(とつ)がうなら,阿呆の許(もと)へ.
         男も賢くば知らう筈.覺え無き間に,
         女に角附きの獸(けだもの)とされかねぬ事を.
         尼寺へと,さあ,それ,直ぐにも.これでだ.(註4)
40    オフィ. 諸天使よ,王子を元へと.
      ハムレ. 判つてゐるのだ,その化粧の何もかも,
         神より授(さづ)く顔を自(みづか)ら別物にして練り步き,
         舌足らずを眞似,妙な綽名(あだな)を,
         神の造りしものに附け,淫らな素振りも,
         物知らぬ故と言ひ拔ける.さても.うんざりだ.
         お蔭で氣が變に.もう要らぬ,結婚などは.
         すでにした者は,一組を除き,永らへよ.
         あとは今のまゝであれ.さあ,尼寺へだ.   退る.(註5)
      オフィ. おゝ,何と,氣高きお心は見る影も無く!
         大宮人の,武人(ものゝふ)の,優れし學者の,
         導く目とも,語る舌とも,率ゐる劔(つるぎ)とも言はれ,
         夢を擔(にな)ひ,御(み)國の薔薇よ,魁(さきが)ける鑑(かゞみ)
         世の手本よと,なべての人の仰ぎ見た,面影は今や消え失せて.
         片やこの身は誰よりも,打ち拉(ひし)がれた憫(あは)れな身の上.
         蜜のやうな愛の誓ひを味ひながら,今や,あの,
         氣高くも双(なら)び無き,理性の鐘の音(ね)は罅(ひゞ)割れて,
         掛け替へも無き若さを誇る,華(はな)の如きお姿も,
         狂ふて枯れ萎(しぼ)んで.おゝ,この悲しさは.
         かつてを見知る同じ目で,これを見ようとは.
そこへ,國王とポローニアス.
       國王. 戀と.あれの心のうち,いや,その爲だとは.
         あの言葉,辻褄は僅かに合はぬも,狂ふた者からとは.
         何事かを心に秘め,憂ひの羽交(はが)ひに抱き暖めて.
         やがては雛(ひな)となり,姿を現せば,危ふき事に.(註6)
         それを防がう爲,急ぎ思ひを巡らし,かうする事に.
         直ぐさま,あれを,イングランドへと遣(つか)はせ,
         いまだ滯(とゞこほ)る貢(みつぎ)の取立てを.
         海を渡り,國も異なり,目先も變はれば,
         蟠(わだかま)る胸の痞(つかへ)も取り拂(はら)はれよう.
         それこそがあれの頭を亂し,あるべき姿を,
         失はさせるからは.どう思はう.
      ポロー. よろしからうとは.が,やはり思ふに,お苦しみの源は,
         叶はぬ戀の爲かとは.どうだな,オフィーリア.
         言はずとも良い,ハムレット様の言葉は總て聽いた.
         陛下にはお心のまゝに.が,もし叶ひますれば,
         芝居の後(のち),母御たる女王お獨(ひと)りで,
         王子に請うて,お悲しみを打明けさせ,
         心置きなゝお話を.で,私は,よろしくば,
         蔭で總ての遣取りを.もし,女王も違ふと仰せなら,
         イングランドへなり,閉ぢ籠めなさるなり,
         よろしくお考へのまゝに.
45   國王. それがよい.名ある者の物狂ひ,よもや,このまゝには.                                退る.



(註1) ローゼンクランツとギルデンスターンは,自身に都合の良い言ひ譯を述べる.つまり,自分たちの意圖がハムレットに見破られた事は述べない.ばつの悪さを示しつつ,觀客の苦笑を誘つて良い遣取りの臺詞である.


(註2) オフィーリアは,贈り物を返すのはハムレットの愛が褪めた爲と言ふ.が,第6場での「お言附け通り,きちんと手紙はお返しし,お出でもきちんとお斷りを.」とのオフィーリアの言葉を疑はぬ限り,本來オフィーリアの側が愛を拒んだといふ恰好である.となるとハムレットとして は,オフィーリアが父親ポローニアスの手先となり自分を探るために近附いて來たのだと考へるのは當然といふ事になる.互ひに心引かれ合ひながら, 思ひを素直に通はす事が出來ぬ儘別れざるを得ぬといふ,復讎譚の中の悲しいエピソードだ.


(註3) これ以降のハムレットの臺詞を,激情に驅られた爲と解する演出が舞臺・映畫で盛んだが,まつたくの誤りと考へる.ハムレットの言葉は,父親の手先となつたオフィーリアに對して,また,オフィーリアが他の男に嫁ぐものとのハムレットの思ひ込みから辛辣ではあるが,亂暴で ある必要はどこにも無い.
 いふなれば,この場では,ハムレットは,第19場で言及される,先王ハムレットのお伽方(jester),ヨーリックの辛辣な口振りを,眞似てゐるのだ.
 ちなみに,1604年版の Second Quarto において,二人の臺詞で『!(exclamation mark)』 が施されてゐるのは,唯一 オフィーリアの臺詞  O what a noble mind is heere orethrowne! 「おゝ,何と,氣高きお心は,見る影も無く!」のみである.他には一行も無い.作者の死後7年目の1623年版では,皆無である.つまり『切實感』はオフィーリアの臺詞を限度とすると言へるであらう.
 ともかくもハムレットとしては,巧みに本心を隱し通さねばならぬ.つまり,彼の狂氣の目的は,クローディアスの現在の王位を脅かすやうな,意志も能力も 無い男に成り下がつたと見せ掛け,相手の油斷を誘ひ,折良くば『復讎』を遂げる事にある.いづれにしても,オフィーリアは a noble mind が orethrowne されてゐると歎いてゐるのだから,激情に驅られたハムレットは有り得ない.こゝでのハムレットは,好い加減な男を演ずるべきなのだ.オフィーリアを,己れの忿懣の捌け口とはせぬハムレットを望みたい.
 また,激情に驅られたハムレットであれば,クローディアスは,それこそハムレットの『狂氣』は 『戀のため』といふ結論を下したであらう.今日の上演の多くが,迷走としか見えぬ所以である.
 これにつき,戰後の飜譯の底本として多く用ゐられた校訂家J. Dover Wilson による版は,次のハムレットの臺詞冒頭に [returns, distraught]  狂亂の態で戾ると指示書きしてしてゐるが,その樣な指示は,原文に一切無い.Wilson の創作である.それも全く誤つた解釋によると考へるが,今日 Wilson の校訂本を用ゐぬ飜譯本の上演にも,第8場の解釋として無批判に受入れられてゐる事は困つた事であると考へる.

(註4)  J. Dover Wilson の校訂本は上の臺詞の後,he rushes out  舞台裏へ驅け込むと指示書きしてゐるが,もちろん原文には,全く無い,Wilson による加筆である.

(註5) さても,うんざりだ…」からの臺詞などは,怒りでは全く無く『なす術も無く歎いてゐるのだ』との『演戲』を,自分を見張つてゐるであらうポローニアスに,見せつける爲のものである.


(註6) ハムレットがオフィーリアに對して,激情に驅られた對應をしてゐたのなら,クローディアスは叶はぬ『戀』のためと信じたであらうと考へる.




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