2011年10月20日木曜日

ハムレット SCENE 7

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
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Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 7
吹奏 國王と女王 ローゼンクランツとギルデンスターン 出る.(註1)
 國王. よくぞ,我がローゼンクランツにギルデンスターン.
     もとより,いづれ,目見(まみ)えたくと.が,是非このたびは,
     二人を用ゐたく,急ぎの使者を.既(すで)に耳にも,ハムレットの,
     その,樣變(さまがは)り.出立(いでた)ちばかりか心根(こゝろね)も,
     かつてとは似(に)ても附かぬ.何がまた,父親の死の他に,
     かうも辨(わきま)へを失はせるのか,夢にも判らぬ.そこで賴む.
     幼き日〻を共に過し,思ひ出と氣心も良く知らう.
     暫(しばら)くは城に留まり,あれに伴(とも)して,
     氣慰(なぐさ)みへと心向はせ,探りを入れよ.折ある每(ごと)
     何故また己れを苛(さいな)むか,これを救ふ手立てがあるのかを.
 女王. お二方,あれからも,二人のことは良く.必ずや,
     他には心安き者もあるまい.もし快く思ひ遣りと志を示し,
     しばらく留まり,賴みに應(こた)へてくれうなら,王からも,
     お覺えに相應(ふさは)しき,お褒めを賜らう.
ローゼ. (おそ)れ多くも,お二方樣こそは王者なれば,
     御(おん)(おぼ)し召しは,賴みと仰せより,お命じにてこそ.
ギルデ. 必ずや御心のまゝに.また,己(おのれ)を擲(なげう)ち,
     力の限り惜(を)しみ無く,お心に添(そ)はんとぞ.
 國王. (れい)を,ローゼンクランツに我がギルデンスターン.
 女王. 同じく,ギルデンスターンに我がローゼンクランツ.
     では,直ぐにも變(かは)り果てたあの子を訪ね.さあ誰か,
     二方をハムレットの許(もと)へ.
ギルデ. 天も我らが務めを嘉(よみ)し,王子への慰めと力添へにと.
 女王. 願はくは.(原語 Amen.)       ローゼ. & ギルデ. 退る.
         ポローニアス 出る.
ポロー. 使者の者たち,ノールウェイより,陛下,晴れやかに,
     戾りましたぞ.
 國王. そなたは今も,嬉しき報せの生みの親か.
ポロー. このわたくしが.仰せのとほり,我が務めこそ己が魂,
     ともに神と情け深き陛下への.それとまた,
     いや,然(さ)無くば我が頭(つむり),政(まつりごと)の道を,
     もはや嗅(か)ぎ分けられぬ老耄(おいぼ)れ犬.つまり,
     見附けましたぞ,ハムレット樣,物狂ひの譯(わけ)を.
 國王. おゝ,聽(き)かう,待ち兼ねた.
ポロー. 先づは目通りの許しを使者たちに.お報せは,その,
     宴(うたげ)の仕上げ,デザートにて.
 國王.  では,宴の禱り,宜しくに,二人を此處へ.(註2)
     Thy selfe doe grace to them, and bring them in.
     どうやら,ガートルード,すでにあれが,
     お前の御子(おこ)の妙な患(わづら)ひの,源(みなもと)(すべ)てをと.
 女王. 果たして他に,主なる譯(わけ)など.父親の死と,
     餘(あま)りに早き婚儀を措(お)いて.
大使達 出る.
 國王. 後ほどに.さてよく戾つた.さあヴォルティマンド,
     何とな,我らがノルウェイの,御(おん)兄御からは.
ヴォル. まこと,鄭重なる御挨拶と,御答禮とを.
     先づ初め,王には使者を立て,甥御の戰(いくさ)支度(じたく)を,
     お差止めに.王にはこれを,ポーランド攻めの備へとばかり.
     が,お調べの後,陛下へ向けてと知り,我が身を歎(なげ)かれて,
     老いと病ひと氣の弱りゆゑ,欺(あざむ)かれたかと,
     直(たゞ)ちに使者を遣(つか)はせ,差止めの申し渡しを,
     フォーティンブラスに.相手は程なく,これに從ひ,
     その徴(しるし)とて叔父御の前にて, 二度と陛下への企(くはだ)ては,
     すまじと誓ひ,王にはこれを慶(よろこ)ばれ,甥御殿へ,
     この先(さき)年ごとに,六萬クラウンの金貨を與(あた)へる旨を約し,
     あらためて,集めた兵をポーランドへ向け,用ゐる權限をお授けに.
     これにつき,[書狀を渡す.]書面にもあります通り,
     差し障(さは)らずば,その企ての爲,陛下の御領地内を,
     滯(とゞこほ)り無く,通過させて戴きたき由(よし)
     その安全と處遇については,書狀に認(したゝ)めた通りとの事.
 國王. いや,上出來な.折を見て讀み,返答し,取計らはう.
     ともかくは,この度の骨折りに禮を言ふ.退り休むが良い.
     夜には共に祝はうぞ.まこと,よく戾つた.    大使達 退る.
ポロー. この件は首尾よき落著(らくちやく)で.さて,お二方樣,
     そも何ぞ,これ,王者とは.何を忠義と呼び,
     何故,晝(ひる)は晝,夜は夜にして,時,時なるや,
     などは只管(ひたすら),晝,夜,時の費(つひ)へにて,ゆゑに,
     簡潔こそは智慧の魂,囘り諄(くど)いは枝葉(えだは)の飾りにて,
     わたくしはこそ,簡潔に.御子息は,狂つてと.
     狂つてをられる.この全くの狂ひ樣,如何に言ひ替へれば.
     狂つてとの他.が,それはさて.
 女王. 有るがまゝ,飾らずと.
ポロー. 奧方樣,誓つて飾るなぞ.狂つてと,まこと,
     まこと痛ましや.いや,痛ましや,まことゝは.
     ちと,阿呆なもの言ひを.もうこれで飾りは無しに.
     狂つて,と致しますと,殘るは探し當(あ)てること,
     これなる結果の原因を,否(いな)(むし)ろ,缺陷(けつかん)の原因を.
     つまり,結果たる缺陷の源(みなもと)には,原因が.
     かくなればこそ,かくなる事との.御賢察のほどを.
     我が家には娘が一人,嫁ぐ前ゆゑ,まさにもをりまして,
     これが娘としての務めを良く守り,それ,私にこれを.
     では,よろしくの御推測あれ.
      これを,天使に紛う,我が魂の憧(あくが)るゝ,
      いと,見目整へる,オフィーリアへ.

     こゝが良く無い.まづい出來だ.『見目整へる』は戴けぬ.
     が,お聽きを.(註3)
      この文(ふみ)を,類ひ無く,眞白き御(み)胸に,云〻.
 女王. これを,ハムレットから,娘御へ.
ポロー. 奧方樣,暫し御待ちを.まづは在るがまゝ.
      星〻は,焰(ほのほ)なるや,
      太陽は,まこと巡るや,
      眞理は,僞りなるやと疑へど,
      疑う勿(なか)れ,我が愛のみは.
      あゝ,オフィーリア,
苦手なのだ,この手の歌は.
      字數(かず)に合せ思ひを載せるなど.が,我が愛は,
        心より,いや,心の底よりと信じて欲しい.
      常にこよなく愛しき御(おん)身へ.
      この身,世にある限り.    ハムレット.
     これを素直に,隱(かく)さず娘が,わたくしに.
     さらには,言ひ寄られたは何時のことか,
     どのやうに,また,どこでかを,餘さず,この耳へ.
 國王. で,どう受入れてか,あれの愛を.
ポロー. わたくしを,どんな人間と.
 國王. それは,忠義な,名を重んずると者と.
ポロー. では,その證しを.が,どう思はれたか,
     この目に熱き戀心の羽搏(はばた)く樣を見ながらも,
     つまり氣附いては,いやもう確かに,既に娘の話の前に,
     が,どう思はれたか,親愛なる陛下竝びに女王樣には,
     もしわたくしが,書き物机か書附け紙の役に甘んじ,
     或は心の目も口も閉じ,見て見ぬ振りを決めてゐたなら,
     どう思はれたか.いや直ぐに,手を打ちました.
     我がうら若き娘には,かう申し附けを.
     ハムレット樣は王子の御身分,生まれた星が違ふのだ,
     斷じてならぬと.更にかう言ひ渡しを.
     決して,お出入りの場所へは行かぬ事,
     遣(つか)ひの方もお斷りし,贈り物も受けてはならぬと.
     かくして娘は,見事忠吿を守り,結果王子は袖(そで)にされ,
     約(つゞ)めますれば,悲しみに暮れ食を絶ち,爲に眠れず,
     次に氣落ちし,眩暈(めまひ)を覺え,病ひは重(おも)り,
     つひに狂つて,今では囈言(うはごと)を.
     で,御一同樣の歎きの種に.
 國王. どう思ふ,これを.
 女王. あり得る事とは.
ポロー. これまでに,ございませうや,是非伺ひたいもの,
     わたくしが,これはかうと申し上げ,違つてゐた事が.
 國王. いや,知る限りは.
ポロー. これをこゝから,お取り上げを,違はうものなら.
     もし折あらば必ずや,事の眞相を.たとへそれが,
     地球の眞〻中に隱れてゐようとも.(註4)
 國王. どう,確かめたら.
ポロー. それ,時に王子は四六時中,續けて御廊下をお步きに.
 女王. それは,いかにも.
ポロー. そんな折,娘を放ちませう.お二方にはわたくしと,
     壁掛けの裏で,確と出遭ひの樣子を.
     もし,戀してをられず,それゆゑのお振舞ひで無いとなら,
     この身は國の輔弼(ほひつ)の任を降り,畑と馬車の世話係へと.
 國王. では,それを.
     ハムレット 出る.前場オフィーリアの報吿通りの出立ち.
 女王. が,あれを,悲しげに,哀れな形(なり)で讀みものをして.
ポロー. あちらへ,どうか,お二方樣.       國王と女王 退る.
     こちらは,敵の船に.では,お遑を.
    [ハム.へ]御機嫌如何で,ハムレット樣.
ハムレ. まあ,お蔭(かげ)にて.
ポロー. わたしを御存知で,殿下.
ハムレ. それは,もう良く.魚(とゝ)屋の客引.(註5)
ポロー. いゝえ,殿下.
ハムレ. なら,あの程度には,眞つ當でゐて欲しかつたが.
ポロー. 眞つ當とは,また.
ハムレ. いやもう,正直者は今の世の中,萬に一人の有樣に.
ポロー. そりや,まつたくで,殿下.
ハムレ. [本を讀み]もし太陽が,死せる犬の腹に蛆蟲(うじむし)を,
     孕(はら)ませる,とは,愛(いと)しの腐れ肉よとキスし,
     愛(め)でたれば.[ポロー.へ] 御亭主に,娘御は.
ポロー. をります.
ハムレ. ならぬぞ,日向(ひなた)を步かせては.御天道様に,
     愛(め)でられる迄は良し,が,更なる御目出度(おめでた)と,
     ならうやも.お氣を附けあれ.
ポロー. [傍白]それ,如何が仰せに.まだ何や彼や,娘の事を.
     が,こちらが誰か初め判らず,魚(とゝ)屋だなどと.
     大分やられとる.こちらも若い頃,えらく苦しんだ,
     戀の病に,まさにこんなで.さて,話を今一度.
    [ハム.へ]何をお讀みに.
ハムレ. 言葉だ,言葉,言葉をだ.
ポロー. 中は,どうかとの.
ハムレ. 仲とは,誰との仲.
ポロー. つまり,お讀みの中身のことを.
ハムレ. 厭味だ.それ,毒舌家めがこんな事を.
     年寄りとは,灰色の髭を蓄(たくは)へ,顏に皺(しわ)
     目からは色濃き,飴(あめ)色且(か)つ,樹液狀の脂(やに)を出し,
     また,夥(おびたゞ)しき智慧の缺落(けつらく),竝びに,
     甚(はなは)だしき股(もゝ)肉の弱りを示す.(註6)
     皆,いやどれも,見事に言ひ當てゝ.が,かうも明け透けにとは.
     お宅とて何時の日か,この身とも同い歲にと,
     蟹が縦に這(は)ふ曉(あかつき)には,歲なども遡(さかのぼ)れよう.(註7)
ポロー. [傍白]狂つてはをるが,理窟はそれなりに.
    [ハム.へ]どうか散步も,外の空氣を吸はずに濟む處でと.
ハムレ. 墓へ入れと.
ポロー. [傍白]なるほど彼處(あそこ)は,空氣要らず.何とも時に,
     含みある答へ.良くある事だ,狂つた頭が物を言ひ當てる.
     正氣の者には,思ひもつかぬ智慧を授かつてか.
     さて,王子は措いて,娘の許へ.
    [ハム.へ]殿下,これにて,お遑(いとま)を戴きたく.
ハムレ. 他にはあるまい,戴かせたいものゝうち,
     これ程こゝろより,遣りたいものも.
     壽命を除けば,壽命,壽命を.
ポロー. では,御機嫌よろしう.
ハムレ. [本に戾り]この盆暗(ぼんくら)な,老耄(おいぼ)れどもは.(註8)
ローゼンクランツ,ギルデンスターン,出る.
ポロー. 探してかな,王子を.あそこにをられる.
ローゼ. お大事にと.[ポローニアスのよたよた步きに.]
ギルデ. 親王殿下.
ローゼ. お懷かしき,殿下.
ハムレ. はて,何とも嬉しや.どうだ,元氣か,ギルデンスターン.
     あゝ,ローゼンクランツ,こいつらめ,どうしてた.
ローゼ. どうにか,人竝みに.
ギルデ. (さいは)ひ,つまりは倖ひの,過ぎざるお蔭にて.
     幸運の,女神の帽子には,屆かぬものゝ.
ハムレ. が,履物(はきもの)の,底裏(そこうら)でも無い.
ローゼ. いかにも,はい.
ハムレ. と,その,細腰あたり,御寵愛の眞つ盛りでは.
ギルデ. いえまだ,下囘りの身にて.
ハムレ. 下肚(したはら)のあたり.さもあらう,
     ありや遊び女(め)だ.何かあつてか.(註9)
ローゼ. 何も,はい.ま,その,世も落著いて.
ハムレ. さては,最後の審判の日も間近.が,今の話,
     眞面(まとも)だとは.氣心知れた仲として聞くが,
     なぜまた,エルシノアの城へ.
ローゼ. 殿下を訪ね.他には譯など.
ハムレ. 今や物乞ひの身分ゆゑ,粗末な禮しか,が,有難く,
     と言つては見せたが,禮にも程が,今のお惠み物などでは.
     違ふか,遣(つか)ひを受けてゞは.自ら望んでか.
     只の氣まゝな訪問と.それ,隱(かく)さず,話せ.
ギルデ. どう,言ひますれば.
ハムレ. どうとも,今の事をなら.遣ひを受けたな.
     そうれ,當(あた)りと顔色に.と,根はそれほどずるく無しか.
     やはり,王と女王が,遣ひを二人に.
ローゼ. 何の爲にと.
ハムレ. それを答へるのだ.どうか賴み入る.友なら許されよう願ひ.
     幼き日〻の誼(よし)みを思ひ,變り無き友愛の誓ひに懸け,
     また,言葉に長(た)けなば更にも言はう,總てに懸けて,
     飾らず素直に,もしや遣(つか)ひを,受けたか否かを.
ローゼ. [ギルデ.に]どうする.
ハムレ. なにをまた,目は離さんぞ.この身を思はゞ隱さずと.
ギルデ. (じつ)は,遣ひを.
ハムレ. 教へよう,譯(わけ)を.こちらが持出せば,白狀とはならず,
     秘密を誓つた王や女王への,言葉に毛ほどの疵(きず)も附くまい.
     この身は近頃,が,譯は判らぬが,まるで心愉しまず,
     武術の稽古もすべて止め,募(つの)る心の重苦しさから,
     この,見事な欄干(らんかん),つまり地球の大地の枠も,
     草さへ生えぬ張出し舞臺に見え,この素晴らしき,
     大空を示す天蓋(てんがい)や,それ,見事頭上に懸る中空の,
     莊嚴なる屋根,金の焰(ほのほ)に飾られた.が,これも何あらう,
     たゞ怪しげな,穢(けが)れた毒氣の寄せ集めとしか.(註10)
     何と見事か,人間は.氣高き理性,秀でた働き,姿も動きも,
     何と多彩で天晴れなことか.天使に紛(まが)う物の辨(わきま)へ,
     神〻に竝(なら)び立つ,この世の美.命あるものゝ鑑(かゞみ)とも.(註11)
     が,この身にとつては,何あらう,元は塵(ちり)の土の塊(かたまり)
     人間なんぞ面白くも無い.いや,女もだ,たとへさうして,
     嗤(わら)はれやうとも.
ローゼ. これは,その樣な考へからでは.
ハムレ. 何故,では,嗤つた,人間も面白く無いと言つた時.
ローゼ. 思ふに,はい,人間に御興味無くば,何とつれなき持成(もてな)しを,
     あの役者たち,受けよう事にと.道すがら追ひ拔いた旅囘りの一座,
     間も無くはこちらへ參り,芝居の披露目を致さうかと.
ハムレ. [何かゞ閃(ひらめ)き]國王役者,ならば歡迎を.
     その御威光へは貢(みつぎ)の品を.遍歷の騎士殿には,大立囘り,
     戀人役も,只では歎かせぬ.氣難し屋には,咳(しはぶ)きも立てず,
     道化方へは,笑ひ上戸を御用意し,お女中役も思ひの丈を存分に.
     でないと,臺詞(せりふ)の調子が狂ふ.どこの役者たちだ.(註12)
ローゼ. それが,贔屓(ひいき)にしてをられた,都の一座で.
ハムレ. 何故また旅囘りを.都にゐれば名も擧がり,實(み)入りも良からうに.
ローゼ. 思ふに,この都落ち,近頃の改革に押されてと.(註13)
ハムレ. で,評判の程は.あの頃のやうに,拔きん出て.
ローゼ. いえ,もう今は.
ハムレ. 有り得ぬ事では.それあの,我が叔父,デンマーク王.
     嘗(かつ)て父上在りし頃,叔父を腐(くさ)してゐた連中が,
     やれ,20,40,50と費やし,一枚,100ダカットもの金貨で,
     ちつぽけな,叔父の繪姿を求め.全くに,これには何か,
     まともで無いものが.もし,學問が解き明かさうなら.
吹奏あり.
ギルデ. あれに,役者たちが.
ハムレ. さてお二方,よくこそ,エルシノアへ.手をこちらへと.
     歡迎に附きものは仕來(しきた)りに儀式.そこで,賴む,
     かたち通りに握手をだ.同じ流儀は,役者たちへも,しかも,
     目立つやう,見せねばならぬ.たとへそれが二人へよりも,
     手厚さうであれ,お二方こそは歡迎だ.が,叔父なる父も,
     母なる叔母御も,見る目の無い事.
ギルデ. 何をと,それは.
ハムレ. この身が狂ふのは,北北西にだ.風が南へなら見分けも附く,
     鷹と鷺との.(註14)
ポローニアス 出る.
ポロー. さて,お變り無く,皆樣方.
ハムレ. それ,ギルデンスターン.そちらも耳を.あの大(おほ)赤子,
     そこにゐる,いまだ襁褓(おしめ)が取れんのだ.
ローゼ. おそらく二度目の,その歲に.年寄りは赤子に戾るとの,あれで.
ハムレ. よし,當てゝやる,報せに來たのだ,一座の事を.いゝか.
     仰る通り,月曜の朝,その時だ,さう.
ポロー. 殿下,お報せをひとつ.
ハムレ. 殿下,お報せをひとつ.かつてロシアス,ローマの役者たりし時.
ポロー. 役者どもが,只今こちらへと.
ハムレ. おやおや.[『ユニゾン』の失敗であらう.]
ポロー. 請け合うて.
ハムレ. とはまた,さぞかし,怪しげな.
ポロー. まさに,當代隨一の名優揃ひ.いづれの悲劇,喜劇,歷史劇,
     田園劇には,田園劇風喜劇,歷史劇風田園劇,
     古式に則る一場面ものから,最新の聯續場面もの,
     セネカの悲劇も重苦しからず,プロータスの喜劇も輕ろきに過ぎず,
     臺本(だいほん)通りでも,即興ものでも,右に出る者,無しの者達で.
ハムレ. おゝ,ヱフタ殿,イスラエルの士師(さばきのつかさ)よ,
      何たる寳(たから)を,その,お手に.
ポロー. はて,ヱフタの寳とは.
ハムレ. それ, 娘はたゞの一人のみ,
         慈しみ振りも,こよなくに.
ポロー. まだ,娘の事を.
ハムレ. 違つてかな,老(ふ)けたヱフタ殿.
      [本來のヱフタは,壮年である.]
ポロー. もし,わたくしを,ヱフタとなら,はい,娘をひとり,
     こよなくに慈しんでも.
ハムレ. いゝや,歌が續かぬでは.
ポロー. 續くとは,どう.
ハムレ. それ, 神のみ知れど,すでにして,
          迎へる定め,知るべきを,
とだ.
     この有難き歌の出だしには,更にもの意味が.(註15)
     さて,あれに,氣晴らしの種が.
役者たち 出る.
     ようこそ御入來(ごじゆらい),よくぞ,皆.會(あ)へて何より.
     いや良く,お前も,懷かしい.はて,顔に縁(ふち)飾りが,
     いつの間にやら.髭(ひげ)を中(あた)らず,こちらに當(あた)らうと,
     デンマークへかな.おや,うら若きお女中に,女御殿,(註16)
     神〻しさもあれ以來,更にも天へと,靴の踵(かゝと)の高さ程だが.
     賴むぞ,その聲音(こわね),通用ならぬ金貨となるな,
     兎角に禁物(きんもつ),お女中の,大事な處(ところ)のひゞ割れは.
     さて各〻(おのおの)方,よくこそに.では,フランスの鷹匠を眞似,
     獲物と見れば手當(てあた)り次第,まづは一齣(くさり),篭手(こて)試し.
     さう,悲壯な件(くだり)を.
 役者. どのあたりなど.[一座の座頭(ざがしら),筆頭役者.]
ハムレ. 聽かせて貰つた事が,一度.が,板には懸らず,あつても一度切り.
     言へばキャヴィアの味,素人連には.が,あれこそは,いや,
     他の更なる通人達も認めてゐたが,見事な出來で場も良く熟(こな)れ,
     程よく利かせた勘(かん)所の押さへ.或る者も,かう.
     何一つ,臺詞(せりふ)に鹽(しほ)して,味の總てを賄ふ風無く,
     言囘しにも,作者を責(せ)むべき氣取(きどり)無し.まこと素直な作風で,
     伸びやかさが心地よく,また,遙かに心映えが,技巧を凌(しの)ぐと.
     さう,あの件(くだり)が殊(こと)に氣に入つた.
     トロイの武將アイネイアスの語る,カルタゴの女王ダイドーへの物語り.
     取分け言へば,トロイ王プライアムが,ギリシアの武將,
     ピラスに慘(むご)くも殺される樣(さま)を語るあたりだ.
     憶(おぼ)えてゐれば,賴む.待てよ,あれはと.
     荒振(あらぶ)るピラスは,血に餓(う)ゑし,
     ハーカニアンの寅(とら)の如くに,
     違ふ,ピラスで始まるが.
     荒振るピラス,その,か黒(かぐろ)なる鎧(よろひ)は胸の,
     慘(むご)き思ひを映してや,(父アキレウスの仇をや討たんと)
     闇に紛(まぎ)れ,身を潛(ひそ)めしも呪(のろ)はしの,彼(か)の木馬の腹.
     今やその,悍(おぞ)ましき,か黑の出立ち,なほ凄(すさ)まじくも,
     頭(つむり)爪先,隈(くま)無く朱(あけ)に色塗(いろぬ)るは,
     トロイの街の父や母,幼なき兒らの赤き返り血.
     その血を焙(あぶ)り,燃え行く街は,忌(い)まはしの光を放ち,
     王家の長(をさ)の殺害を,照らさんとすれば,
     怒りと焰(ほのほ)に,燃ゆるが如き,彼(か)のピラス,
     凝(こゞ)りて乾く,血糊に塗(まみ)れ,眼(まなこ)は柘榴(ざくろ)の石の如く,
     奈落の鬼もかくやかと,老いたるプライアムを求めるに.
     さあ,續(つゞ)きを.
ポロー. (まこと)お上手な.良きめりはりと思ひ入れにて.
 役者. と,行手にプライアム.寄手(よせて)ギリシアに歲(とし)(ふ)る劔(つるぎ)を,
     振るへど及ばず,腕(かひな)に背(そむ)き,はたと落つれば,最早これ迄.
     ピラス,驅け寄り,振るひし怒りの,劔(つるぎ)は逸(そ)れしも,
     なほ卷き起る太刀風(たちかぜ)に,力盡(つ)きたる,王は倒れぬ.
     と,その一(ひと)太刀に,心無き,トロイの宮居(みやゐ)も感じてや,
     燃ゆる甍(いらか)は大地へと,もの凄まじく崩れ落つれば,
     ピラスも己が,耳奪はれて,見よ,その劔(つるぎ)は翳(かざ)されしまゝ,
     プライアムの髮白き首(かうべ)が上に,ひたと止まり,
     ピラスもたゞの武者の姿繪,魂も失せ立ち盡(つ)くす.なれどこれも,
     嵐に先立つ天の靜けさ.雲は留(とゞ)まり大風(おほかぜ)の,唸りも絶えて,
     大地あたかも死せるが如し,と,見る間に襲ふ雷(いかづち)の,
     天を引き裂く樣(さま)なるや,心附きたる,ピラスはまたも仇討ちの,
     憎しみに身を委(ゆだ)ね,古(いにしへ)の神サイクロプスが鐵(くろがね)の鎚(つち)
     戰(いくさ)神なるマルスが鎧を,永久(とは)に朽ちねと鍛(きた)へし折(をり)とて,
     かほど激しき一振りは無し.ピラスが血刀,プライアムへと,
     振り下ろされぬ.去れ,失(う)せよ,賣女(ばいた)に紛う運命の女神.
     なべての神〻集(つど)ひ來て,女神が技(わざ)を奪ひ去れ.
     巡る定めの輪車の,軸も臺(だい)木も折り碎(くだ)き,打ち捨てよかし.
     その天界の嶺より奈落の鬼の許(もと)へ.(註17)
ポロー. こりや,長過ぎる.
ハムレ. ならば床屋へ,その鬚(ひげ)共〻.どうか續きを.あれの好みは,
     浮れ踊りかバレ噺(ばなし),でなくば居眠りだ.續きを.
     次は妃のヘキュバの件りを.
 役者. が,誰(たれ)ぞ,おゝ,誰ぞ見し,彼(か)の頭巾の女王.
ハムレ. 頭巾の女王.
ポロー. いかにも.
 役者. 素足にて階(きざはし)を,降りつ昇りつ,流れる淚(なむだ)は,
     焰(ほのほ)も消えよと溢(あふ)れ出(い)で,頭(つむり)は布(きれ)に覆へども,
     妃の冠(かむり),最早無く,身に羽織りしは,數多(あまた)の子を生む細腰に,
     すはやと纏(まと)ひし,閨(ねや)の掛け布.この有樣には誰とても,
     悪罵の限り,定めの女神を呪はざる.否(いな),見そなはす神〻あらば,
     その時妃の,まさにも目交(まなか)ひ,慘くもピラス,プライアムが,
     手足を刻む,その刹那(せつな),響(どよ)もす如くの妃の叫びに,
     神〻さへも心動かし,その眼(まなこ)たる天空の,焰(ほのほ)と燃ゆる星〻に,
     淚は浮かび,憫(あは)れみに,胸をや傷(いた)めん.(註18)
ポロー. あれを.何とまた,顔色も變り,目に淚.さゝ,そこまでに.
ハムレ. よからう.後ほど殘りの分を,また.では,閣下,役者たちの世話,
     くれぐれも.よいな,相應(ふさは)しき持て成しをだ.
     役者は世の縮圖(しゆくづ),一目瞭然の年代記とも.
     そちらも死んで後,墓石に何書かれうと,生きてのうちの惡口は,
     願ひ下げの筈.
     [舞臺で鎗玉に擧げられぬやうにとの意.]
ポロー. 仰せに從ひ,持て成しは,分に相應しく.
ハムレ. とんでもない.分となれば,皆,笞打ちの刑だ.(註19)
     そなたの分と位に相應しくだ.彼らの分に釣合はぬ程,
     そなたの德も増さうもの.賴む.
ポロー. こちらへと.
ハムレ. さあ,後へ,皆.芝居は明日に.[座頭を呼び止め]賴みがあるのだが.
     出來るか,『ゴンザーゴウ殺害の場』は.(註20)
 役者. はい,それは.
ハムレ. ならば,明日の夜,もしや,臺詞を十數行,用意のものを,
     入れてよければだが.
 役者. はい,それも.
ハムレ. 大いに助かる.さ,後を.で,良いか,あれをからかふな.
     さて,我が友よ,また,夜にでも.よくぞ,エルシノアへ.
ポローニアスと役者たち 退る.
ローゼ. これにて                        退る.
ハムレ. いや,こちらこそ.これで獨(ひと)りに.(註21)
     おゝ,何と見下げ果てた,我が身の爲體(ていたらく)
     だのに,驚ろくべき,あの,今の役者.
     假初(かりそ)めの夢物語に思ひを馳(は)せて,我が事のやうに.
     爲に,面持ちは變(かは)り,目に淚,身も世も無きほど,
     聲を途切らせ,隅〻までも役に浸(ひた)る.それが,何と,
     ヘキュバの爲に.何がある,ヘキュバとあの役者との間には,
     淚するほどの,何が.ならばどうなる,
     このハムレットの身の上と,滾(たぎ)る思ひを演じたなら.
     たちまち舞臺は淚の海となり,耳を劈(つんざ)く臺詞も凄まじく,
     氣をも狂はせよう,罪ある者の.無垢とて戰(をのの)き,
     智慧無きも怯(おび)え,たゞ驚きに目や耳を,釘附けされように.
     ところがこちらは,愚圖で間拔けな出來損ひで,
     夢に浮かされ何一つ成らず,口さへ利けぬ,王の爲の一言をさへ.
     玉座,王冠,妃のみか,尊き命を掠(かす)め取られたに.
     成り下がつたか,腑拔けにと.誰だ,人で無しとは.
     この腦髓を搔き亂し,髯(ひげ)を引拔き,顔に吹掛け,鼻を捩(ねぢ)上げ,
     噓僞りの輩よと,嵩に懸つて罵るは.一體,誰だ.
     まさに,違ひ無い.如何にも此の身は臆病な,小鳩の甘い膽(きも)同然に,
     苦い目ひとつ見せられもせぬ.さなくば疾(と)うに,腐つた性根を,
     空飛ぶ鳶(とび)の餌にして,奴らを太らせてゐたらうに.
     血に餓ゑ,賤しき極惡の,慈悲節操無き,色に溺れた卑劣な惡黨.
     何たる間拔けか,見上げたものだ.愛する父を殺められ,
     すは仇を討てと,天も地獄も背を押すに,實(じつ)無き賣女の言葉さながら,
     恨み言に現(うつゝ)を拔かす.まさに女郎,媚び諂(へつら)ひの輩(やから)では.
     目を醒(さま)せ.さう,聞くに嘗て,罪人(つみびと)どもが芝居の最中(さなか)
     巧みな出來に心を打たれ,その場で惡事を打明けたと言ふ.
     殺人の罪に,物言ふ舌もあるまいが,奇(く)しき力に促され,
     自づと語り出す事も.まづは役者を使ひ,父上殺害に見立てた芝居を,
     叔父の目の前で.こちらは目を凝らし,その生傷に觸れ,
     怯(ひる)まうものなら,後は任せよ.あの時目にした父の精靈とて,
     惡魔やも.奴らは人の好みを裝ひ,弱みに附け込み,
     鬱(ふさ)ぐ心に狙ひを定め,馴れた手管(てくだ)で奈落に引き込む.
     ならば,地に足の著く證(あかし)をこそ.芝居を用ゐ,この手に王の,
     まことの心を.                     退る.


(註1) 前場と同日,第5場からは約二ヶ月後,王城の廣間邊りとの想定.

(註2) こゝで言及される,食前の禱りなどの,宴の先導役としてのポローニアスの姿は,第16場で,狂つたオフィーリアにより再現される.

(註3) 「見目美しやの」とした原文は beautified で,これをポローニアスは不適切と批判するのだが,では,どの單語が適切であると考へてゐたのかとの『答へ』が第16場に登場する.すなはち,既に狂つてポローニアスになり切つて登場するオフィーリアがガートルードに呼び掛ける臺 詞では,beautious の単語を用ゐるからだ.つまり常日頃ポローニアスは,beautious の語を用ゐてゐたと推測され,ここでの眞意は beautious とすべきであつたとの事だと知れることとなる.

(註4) 「これをこゝから」の原文は Take this, from this, で,それぞれの this が何を意味するかの具體的な手掛りは無い.首と肩を意味する,すなはち斬首刑を受ける覺悟を言ふとするのが今日の通説だが,さう解説したのは後世の校訂家 で,根據は不明だ.ポローニアスは此の後直ぐに,單なる辭任と降格をと言ひ換へてをり,つまり,不自然であるとも言へよう.
  別の説は何らかの宰相のシンボルを取り外す意味だとする.譯者は後者を妥當と考へるが,ポローニアスが調子に乘り過ぎて,口が滑り,修正したとの解釋も無くは無からうから,上演の際は適宜に,いづれとも.
ところで J. Dover Wilson の校訂本では,こゝでハムレットを登場させ,王たちの話を立ち聞き,オフィーリアが囮として使はれる事を豫め知るとの加筆が施され,それに沿ふ飜譯本も多 いが,原文にはさうしたト書きは一切無い.この後,ハムレットによるポローニアスをヱフタに見立てての臺詞にいさゝかの合理性を與へてくれるが,第8場の 『オフィーリアの囮』の場面については,立ち聞きが無くとも,まつたく問題が無い.この譯本では原文のまゝとする.


(註5) 魚屋の原文は譯語どほり a Fishmonger である.大文字から始めてゐる事から,單に魚屋を言つてゐるのではなく,何らかの別の意味合を持つと思はれ,當然當時の觀客は即座に理解したであらう.ではその意味はとなると,今日確定はしてゐない.
  例を紹介すると,fishy (胡散臭い)の意を籠めて,更には fish に探りを入れるの意味があり,ハムレットがポローニアスの意圖を見拔いて此の語を使つたとの説.
  もう一つは『女衒』を意味してゐたとする説で,この解釋も根強くある.『女衒』の意とすると,誰に誰を取り持つたのか.クローディアスにガートルード をか.或いはオフィーリアとハムレットとの仲を解消させ,別の男と結婚させようとしてゐるとの意であらうか.しかしこれには,明らかに『女衒』の意味で使 はれたシェイクスピア時代の他の文獻は發見されてゐないとの指摘がある.
  ともかくも場面としてはポローニアスへの『皮肉』や『からかひ』であるので,上演には,適切な單語があれば入れ換へを願ふ.


(註6) ポローニアス(役者)の容貌に合せた即席.ポローニアス,臺詞に合せ,目を拭ひ,「竝びに」の直前に,躓くなど,よろしく.

(註7) 「蟹が縦に…」原文は,if like a Crab you could goe backward. 蟹の單語は大文字で始まる.1st Folioも同じくである.つまり,何らかの含みを持つ表現で,if like a Crab は當時の慣用表現でもあらうか.蟹は本來橫這ひでしかあり得ず,You cannot teach a crab to walk straight. なる Aristophanes 由來の諺もあることなどから,その意味の言葉として扱つた.つまりは不可能との含みで,氣違ひを装ふハムレットのポローニアスへのからかひである.勿論ポローニアスはさうとは氣附かない.また,これに對しポローニアスが,話の筋は通つてゐるとして納得する譯文にはなつたと思ふが.

(註8) 原文に[本に戾り]のト書きは無い.譯者が補足した.校訂家たちは,ポローニアスに直接向けての臺詞としてゐるが, 原文は These tedious old fooles.で複數形の爲,本に戾つたとするのが妥當と考へる.また,直接ポローニアスに向けたりすれば,ハムレットの佯狂の目的にも反し,堪へ性の無 い,輕率で奇妙奇天烈なハムレットとなるからだ.勿論前(さき)の遣取り同樣,本に戾つたと見せ掛けての,ポローニアスへのからかひである.臺詞にポローニアスが振り返り,ハムレット,本の中身だとの反應など,良いかと….

(註9) 「下働き」の原文は,her priuates で,ギルデンスターンは最下級の兵卒の意で述べたが,ハムレットは殊更『秘部』の意味に擦り替へ,二人を當惑させる.二人へのからかひである.また,彼ら を女神の寵愛の眞つ盛りと持上げておいて,女神は遊び女,すなはち誰とでも寢る女だからとは,また,これ以上の皮肉も無い.幸運もしくは運命の女神を『賣 女』に喩へる件(くだり)が,後に登場の役者がアイネイアスの語りをする際にも登場するが,運命の氣紛れへの喩へとしては,一般的なものであつた.

(註10) 「この,見事な欄干…」以下は,當時の舞臺と劇場の造りと重ねた『樂屋落ち』を交へた臺詞となつてゐる.この場面を當時の觀客の立場で正確に理解(再現)するには,第5場の亡靈役者とハムレットの遣取り同樣,當時の劇場(またはその知識)が必要となる. 生眞面目に原文の字面を讀んだだけでは,今日『蔓延る』と言つて良い『哲學的』なるハムレット像がお手輕に出來上がる事となる.困つた事だ.『惱めるハムレット』とのお定まりの先入觀に騙されて仕舞ふのだ.
 しかし,たとへば,「武術の稽古もすべて止め」とあるが,これは明らかにローゼンクランツとギルデンスターンを欺く爲 の『噓』である.第20場では since he (=Laertes) went into France, I haue bene in continuall practise, 「あれがフランスにゐる間,こちらも缺かさず稽古を.」と述べてゐるからだ.
 つまりこの場面は,ハムレットが,『氣鬱 melancholy 』に取り憑かれた人間に如何にもありがちな,この世についての尤もらしい感想を列べ立て,ローゼンクランツとギルデンスターンを煙に卷き,己れの復讎の意圖を完璧に隠し,その際,この世を象徴するやうに作られた劇場(The Globe)の造りを臺詞に織り込み,結果的にはハムレットは半ば劇中人物との枠を超え,觀客を卷き込んで,二人をからか ふといふ趣向の許に作られてゐる.
 ハムレットの話を眞面に聞く(實はさうした役柄の演戲で あるのだが)ローゼンクランツとギルデンスターンを,觀客を味方につけて,からかふのだ.勿論二人は,からかはれてゐることに氣附かぬとの演戲を貫く事は言ふまでもない.
 『ハムレット』には,かうした,觀客を退屈させない工夫が前半部に登場する.生眞面目に讀むと,沈鬱な芝居とならう.
 なほ,臺詞中『舞臺の張出し』と譯した原文は promontorie で,これを形容する sterill と倂せ,逍遙などは「荒れ果てた岬」と譯し,他の飜譯本も似たやうなものであるが,何故突如,『岬』もしくは『半島』などが持ち出されるのか,理解に苦しむ.しかも『岬』や『半島』が,必ず sterill すなはち『不毛』であるとは限らぬのにである.
 こゝは,それまでの The Globe の内裝を織込んだ臺詞同樣,『樂屋落ち』であり,promontorie は,舞臺用語であるとして飜譯した.

(註11) 以上の臺詞も,二人への『からかひ』の類ひである.二人のうちのどちらかを讚へる素振りで良いと考へる.
 何れにしても,この件(くだり)は『敵方』のスパイを勤める二人を相手にしての臺詞だ.ハムレットが,時に己れの『氣鬱』に手を燒いてゐる事が慥かだとしても,事態はそれを上囘る.生眞面目な『本心の吐露』などは,考へられぬ事である.
 なほ,人間が「元は塵(ちり)の,土の塊(かたまり).」とは,アダムが神により,さうしたものから創られたとする,舊約聖書『創世記』にあるキリスト敎の『神話』に基づく.


(註12) [何かが閃き]のト書きは譯者の加筆である.第5場から約二ヶ月,ハムレットは狂つた素 振りを續け,卑劣な手段によらぬ復讎の機會を窺つて來た譯だが,切つ掛けは訪れず苦痛に滿ちた日〻を送つて來た.ここで初めて,クローディアスの犯罪を暴 く『何か』が出來るかも知れぬとの希望を抱くと考へる.これ以降のハムレットは,そのアイデアを頭の片隅で練り上げつつ,周圍の目を欺くために『芝居に夢 中な王子』を演じ續ける.その間折折に,何事かを沈思する姿を觀客に見せるべきであらう.この場面の意味合が重層的なものとなり,緊張感を醸す事となる. なにしろ,ベタに演じられては,退屈な場である.
 なほ,譯者の知る限り,つまり映像版で見られるハムレットに關し,さうした適切な『演出』をしてゐるのは,Tennant 版のハムレットのみだ.

(註13) おそらくは1597年に起きた『犬の島』筆禍事件の事を指すと思はれる.上演内容が當局の宗教的かつ政治的な方針に反す るとして,作者および役者が投獄され,それ以降ロンドンにおいて公演出來るのは2劇團にのみ限られるといふ事件があつた.シェイクスピアの屬する劇團はそ の一つであつたが,この事件により多くの劇團が旅囘りを餘儀なくされた.何れにしても ここに言ふ『都』とはハムレットがゐた事になつてゐるウィッテンバーグではなくロンドンと言ふ事になる.しかも當時における『現代』の話題が『時代劇』の 部類に屬するハムレット劇の中に登場する.今日の時代考證史家の目からは許し難い事であらうが,かうした時代錯誤は至る所にあり,觀客はそのままに,芝居 を愉しんだのである.

(註14) 自らを,鷹狩りの鷹に擬(なぞら)へて,二人を煙に卷く臺詞.

(註15) ヱフタは舊約聖書『士師記』に登場するイスラエルの武將にして首領.ヱフタには未婚の愛娘が一人だけゐた.彼は,父ギレ アデが歌ひ女(め)に生ませた子であるとして父の妻子から疎(うと)まれ國を追はれてゐたが,ある時イスラエルはアンモンの子孫 より戰を仕掛けられた.ヱフタはその戰の指揮を,訪ね來た故國の長老たちから求められる.
 ヱフタは,自身が一旦は國を追はれた者であり,申し出は受けられぬと言ふが,長老らは彼をイスラエルの首領にすることを約し,ヱフタはこれを引き受ける.
 出陣に際し,ヱフタは神ヱホバに,思ひ上がつたと言へる誓願を立てる.もしヱホバが戰を勝たせてくれたなら,凱旋の折,始めに家から出て來た者を,燔祭の犠牲として,燒いて捧げると誓つたのだ.
 ヱホバは彼に大勝利を得さしめたが,凱旋し歸宅すると,その時初めに,勝利を喜び,鼓を打つて舞ひ踊りながら出迎へたのは,誰あらう,ヱフタの愛娘であつた.ヱフタは己が衣を引き裂いて,これを歎いたが,誓ひは果たされなければならず,譯を聞いた娘は,二月の猶豫を乞ひ,その後處女(をとめ)の儘,神への犠牲として身を燒かれ,捧げられた.
  さて,この物語とハムレットの臺詞には,どのやうな繫がりがあるのか.これまでの經緯では,第3場においてポローニアスは,オフィーリアにハムレットと 接する事を一切禁じ,第6場のオフィーリアの言葉からすると,その命令は嚴格に守られ,ハムレットは遠ざけられた事が判つてゐる.そしてこの場の前日(第 6場),第5場からは約2ヶ月後,既に狂つた素振りを始めてゐるハムレットは,オフィーリアの部屋に現はれ,無言で別れを吿げてゐる.

 ハムレットはオ フィーリアの愛が褪めたのだと考へてゐる事は,この後の第8場と第9場におけるオフィーリアとの遣取りにより,明らかである.オフィーリアが心變りし,他 の男の許に嫁ぐ事になつたと考へた事も慥かであらう.さうした段取りをポローニアスが總て行つたと考へたであらう事も間違ひあるまい.
 となると,ポローニ アスが己れの目的の爲,オフィーリアにハムレットを見捨てさせたと考へたとも見える.となると,ハムレットに探りを入れる事で,やがては娘とポローニアスに禍(わざ はひ)が訪れるとの警吿であらうか.
 なほ,この件
(くだり)はQ1では,いはゆる『尼寺(へ行け)の場』の直後に登場する.つまり難無く,ハムレットの眞意を探らせる爲に,オフィーリアを囮に用ゐたポローニアスへの警吿として受取り得る.しかし,Q2では,順が逆となる爲,ポローニアスへの全般的な警吿と映ることゝなる.

(註16) 當時,若い女役は,聲變り前の少年俳優が演じた.

(註17)  上の役者の臺詞の間に,ハムレットは何事かを『沈思』する姿を觀客に見せるべきであらう.何かがハムレットの心の中で進行してゐる事を『暗示』するのである.さうした仕種により,この場面における中心人物であり續け,復讎劇の本筋が保たれる事となる.

(註18) (さき)の役者の臺詞の間の『沈思』に續き,上の臺詞の間も何事かを考へ續けるハムレットの姿を,さり氣無く觀客に示すこと.當然の事,觀客の,ハムレットの思ひを知りたいとの興味や期待は,いや増しに高まるであらう.すれば,第7場に,退屈する處は無い.

(註19) 役者に向けての冗談口. 一般に,役者の生活は奔放なものと看做され,胡散臭くも見られてゐた.現實にも 役者崩れの犯罪もあつたやうである.また當時のロンドン市當局の大半は,娯樂の類ひを極端に嫌ふ清教徒で構成されてをり,役者や劇場への規制が嚴しかつた との事.この爲ハムレット上演の劇場 The Globe もロンドン市の城壁外,テムズ河對岸に建てられてゐた.ほぼ『河原者』と言ふところか.

(註20) ハムレットは ,周圍には役者との遣取りに熱中してゐると見せ掛けながら,心中,何事かを考へ續けて來た.やうやく或る考へが纏まつたのだ.

(註21) 「これで獨りに.」 Now I am alone. これ以降の臺詞から,この場に於けるハムレットの言動は『本心』からのものではなく,ポローニアス,ローゼンクランツ,ギルデンスターンを欺くための『佯 狂』の一部をなすものであつた事が明確に示される.卑劣な手段によらぬ復讎を父王の亡靈に命じられ,また自らも第5場で『地獄』すなはち悪魔に魂を渡すや うな事はすまいと決意してゐるハムレットにとつて,復讎の成就は窮めて困難である.今日ハムレットの復讎の『遲延』と呼ばれるものは,さうした結果に過ぎ ない.また,その間にクローディアスが尻尾を出さぬ事から,亡靈の言葉への疑ひも生まれ,ハムレットを苦しめる.『佯狂』の日〻は,苦痛に滿ちたものであ る筈だ.ともかくも,ハムレット自身が己れの復讎の『遅延』を詰る.さうした獨白には,痛〻しいものがある.


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