2012年12月2日日曜日

Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.(5)

『ハムレット Hamlet』飜譯本文:
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.(5)

雜感:『間』といふものについて.

取留めの無いものと,多くの方に思はれてゐる『間』といふものにつき,
思ふ事など….

『間』は單獨では存在し得ない.

日本の短歌および俳句については,『1小節八拍』の流れの中で生まれるもの.

このリズムを外したのでは,單なる『無音』としか思はれぬ事となる.といふより『不快な』もしくは『頓狂な』無音狀態と言ふべきものとなる.『無音』と『有音』の狀態に一貫するものこそ『一小節八拍』のリズムなのだ.

『間』は「何も無い無音狀態ではない」との意味合ひの口傳が成立するのも,その前提として,『一小節八拍』のリズムが意識されてゐるからである.つまり,一小節といふ『全體』が『豫定』されずに,『間』だけが存在し得る事などは無い.

『間』は,『有音』または『所作』と對極にあるが,『一小節』を構成する要素といふ意味では,『有音』や『所作』と對等なものである.

無音は,次の『有音』により,『間』として認識される.または,作品そのものゝ『終了』により,『間』といふ有意な何ものかになる.つまり,繰り返しになるが,『有音』部と『無音』もしくは『所作無し』とにより,『有意の1ユニット』,つまりは『八拍』を形成する.

逆から述べれば,何事か『有意』の事柄を相手に傳へようと意圖する時,我〻の『念頭』には,『一小節八拍』の1ユニットが思ひ浮かび,有音の言葉は,その中で,言葉としての『生理』から,5乃至7音で役割を終え,おのづと『間』を生じさせることゝなる.

つまり,短歌・俳句を詠むものは,心の裡(うち)に,常に『八拍一小節』を『期待』してゐる.さなくば『間』といふものは存在し得ないと言つて良い.

何事かを傳へんとする情緖・情動が,1ユニットを構成する.或は我〻を『強制』する.

『有音』の言葉には,言葉そのものゝ持つ『論理』が働く.


…と,まあ,かうした『事情』が,Shakespeare の原文にも,あるか否か.この論の眼目は,そこにあるのだが,いまだ『本題』に到達致しませず,今暫くの御辛抱をと,願ふ次第にて…….