2011年11月7日月曜日

ハムレット SCENE 20

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
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Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 20
[さて,芝居はいよいよ大詰めを迎へる.總ての主要な登場人物たちの運命が決る事となり,それによりデンマークは新たな時を迎へなくてはならぬ.はたしてハムレットの復讎は果たされるのか,クローディアスは第10場でハムレットが意圖したとほり確實に奈落(地獄)へ墮ち行くやうな死を迎へるのか否か,それはどのやうに,また,ガートルードはハムレットの言ふ「神の祝福を願ふ」(第11場)時を迎へるのか否か,ハムレットはポローニアスを過つて殺めた罪をどのやうに償ふのか,これらの疑問に對して,作者シェイクスピアは,『答へ』を呈示しなければならない.]

ハムレットとホレイショー 出る.[王城の廣間.日中]
1   ハムレ. それは良いとして,今一つの件だ.憶えてゐよう,
    事の次第は.
    ホレイ. 憶えてをります.
    ハムレ. それが妙に胸騷ぎがし,ひとを眠らせぬ.まるで,
    叛亂の罪で足枷(あしかせ)に繫(つな)がれた,水夫にも劣らうかと,
    咄嗟(とつさ)に,いや,この咄嗟こそ褒(ほ)むべきか,つまり,
    向う見ずも時には役立つ,巧(たく)んだ末にも躓(つまづ)くものなら.
    いや,さうなのだ,事は天なる神が仕上げる,荒削りまでは,
    人が爲(な)さうと.
    ホレイ. それは,まさに.
5   ハムレ. で,船室を拔け,身には水夫のガウンを纏(まと)ひ,
    闇の中,手探りで連中を見附け,望み通り,
    この手に,その小荷物を.そして事無く船室に戾つたが,
    この大胆さに,臆病風も吹く間を忘れ,封を切つた,
    件(くだん)の國書の.そこにはだ,ホレイショー,
    止(や)ん事無き惡巧み,まさにも命令に,
    あれやこれやの理窟で味附けし,
    この度デンマークの安泰及びイングランドの爲として,
    さてまた,何たる災難か,一讀の上は時を隔(へだ)てず,
    まさにも斧(をの)を硏(と)ぐ間も置かず,この首を,
    打ち落せとあつた.
    ホレイ. そんな事が.
    ハムレ. これぞ,その國書.後程讀むが良い,
    が,後の事を,聽きたくは.
    ホレイ. はい,是非に.
    ハムレ. かくてあたりは惡黨だらけ,前口上もあらばこそ,
    既に芝居は次ぎの場へ.こちらは腰を据ゑ,新たな國書を,
    見事書き上げた.かつては代議士連中同樣,手習ひなどは,
    下〻(しもじも)の技と,努めて稽古の手を忘れようと.
    が,この時は,それが大事な下働きを.
    どうだ,出來映えを知りたくは.
10   ホレイ. はい,どうか.
   ハムレ. こゝに,心よりの要望を,國王より.
    イングランドは,かつて誠實なる我が屬國にして,
    兩國友愛の情は,棕櫚(しゆろ)の葉,盛り行く如く,
    和平の女神,なほも實りの麥の冠(かむり)を著け,
    兩國親善の仲立ちなれば,などゝ盛り澤山に熱を籠め,
    決まり文句を列べた後に,詮儀一切無用にて,
    書狀持參の者らを,直ちに,處刑せよ,
    懺悔の遑(いとま)も,與(あた)へるべからずと.
  ホレイ. 國書の封緘(ふうかん)は.
  ハムレ. それが,これぞ天の配劑か,父の指輪の印が隱しに.
    まさに,國王の印を象(かたど)つたもの.
    で,書狀の疊み目も元の通りに,署名し印を捺し,
    元の場所へ,掏(す)り替へを知られる事無く.
    さて,次の日はあの,海での戰ひ,何が起きたかは,
    知つての通りだ.
  ホレイ. と,ギルデンスターンとローゼンクランツは,
    そのまゝ.
15 ハムレ. 奴らの事では,胸は痛まぬ.いづれ結果は自らの,
    媚(こ)び諂(へつら)ひから.危ない事だ,小者が出步き,
    まさに,鎬(しのぎ)を削る大物同士の間に立つなど.
  ホレイ. また,何たる王か.
  ハムレ. もはや,どうだ,かうなれば,受けて立つ他は.
    相手は,我が父王を殺し,母を穢(けが)し,
    この身の,王位に選ばれよう望みに立ち塞がり,
    罠を仕掛け,この命までも.そんな事をされたなら,
    當然の事ではないか.
        廷臣(オーストリック)出る.
   廷臣. (おん)殿下には,まこと良くこそ,デンマークへ,
    御(おん)お戾りに.
  ハムレ. これは恐れ入る.知つてか,この,水トンボ.
20 ホレイ. いえ,知りませず.
  ハムレ. さて,羨ましき御身分かな,知れば最期だ.
    あれは大地主,大層な數の家畜持ち.
    いや,成るなら獸(けもの)も,その主(あるじ)にと.
    王との會食に,飼葉桶が竝(なら)ぶ身分にも.
    ありや,口眞似鴉(からす),いや,寧(むし)ろ,
    泥集めの場所取り男か.
   廷臣. 殿下には,もし御(おん)暇あらせられゝば,
    いさゝかの御言葉を,陛下より.
  ハムレ. 伺はう,全身全靈を傾けつ.その帽子だが,
    あるべき處へ,被りものゆゑ.
   廷臣. 恐れ入ります,お暑いもので.
25 ハムレ. いや,なに,大層寒い.風も北からだ.
   廷臣. はい,そこそこには,お寒くも,まこと.
  ハムレ. が,やはりはひどく,ベタつく暑さ,いや,
    體質ゆゑか.
   廷臣. すこぶるに,はい,ひどいベタつきやう,
    いはゞ,その,曰(いは)く言ひ難く.で,その,
    陛下は私をして,詳(つまび)らかにせよと,で,すでに,
    大層なる賭けものを,あなた様のお頭(つむり)の上に.
    と申しますのは.
  ハムレ. 賴んだでは.[帽子を被れと.]
30 廷臣. いえその,殿下,この方が,はい,全くに.
    で,この度新たに王宮へ,レィアティーズ殿が.
    まさに,完璧なる武人,總て極上の資質を湛(たゝ)へ,
    熟(こな)れたる社交性,優れたる容姿,申しませうなら,
    あれぞ武人の羅針盤とも,道標(みちしるべ)とも.
    その行く手には,お目指しの,武人の具(そな)ふべき,
    項目悉くが,目録の如く.
  ハムレ. さて,御案内には何一つ,漏れもあるまい,
    が,しかし,帳簿張りの列べ立て,記憶の算盤(そろばん)が,
    眩暈(めまひ)を起さう.しかも,こちらは,取り殘し,
    あれの船脚(ふなあし)の早さには.が,眞實褒めてだが,
    あれこそ見事な器量の極み.その一身は,
    得難く稀なるばかりとは.在りのまゝに言はうなら,
    あれを眞似られるは,鏡のみ.だれが一體,
    追ひ着けよう,その影法師の他,なし得まい.
   廷臣. 殿下のお言葉,まこと缺(か)けたるは,ござ無くに.
  ハムレ. で,御眼目は.何故その武人の飾り立てを,
    殊更互ひの貧相な,言辭(げんじ)でか.
   廷臣. とは.
35 ホレイ. はて,判らぬかな,他人(ひと)の口からの,
    飾り言葉は,それ.判らうに.
  ハムレ. 何ゆゑ,この武人の御芳名を掲げてか.
   廷臣. レィアティーズの.
  ホレイ. 言葉の財布も最早,空.金ぴか物は種切れに.
  ハムレ. あれのだ.
40 廷臣. いえ,御認識無き筈はと.
  ハムレ. さう,筈はないが,まこと,だからとて,
    自慢にも,それで.
   廷臣. 御認識無き筈は,如何にレィアティーズ殿が,
    優れたるかは.
  ハムレ. それを言ふ譯には.自惚れたくは無い.
    他人(ひと)を優れたりとは,すでに己れこそ,
    優れしと言ふに等し,と言はうでは.
   廷臣. いえその,この劍の.世の評判からは,
    腕前,双ぶ者無しと.
45 ハムレ. 何を使ふ.
   廷臣. 細身と短劍を.
  ハムレ. 二刀構へか,が,それで.
   廷臣. 王にはあちらへ,6頭のバーバリーの馬を賭け,
    對してあちらが張りましたのは,たしか,六振りの,
    フランス物の細身と短か刀(がたな)と附屬の革帶と,
    劍の吊り具かと.その三對の懸架(けんか)具たるや,
    實に惚れ惚れとする,まこと,握りの造りに大變適ひ,
    まさに,繊細なる懸架具,でゐて,豪放な拵(こしら)へで.
  ハムレ. 何だな,ケンカグとは.
50 ホレイ. いづれ,註釋無しでは收まるまいとは.
   廷臣. 懸架,つまり,劍を吊り下げる.
  ハムレ. その言ひ囘しが相應しいは,腰に大砲でも,
    ぶら下げよう時.どうか吊り具と,今は願ふ.
    が,六頭のバーバリーの馬には,六振りの,
    フランスの劍と附屬の品に,豪放な拵への吊り具とは,
    これぞ,フランス仕掛けし,デンマークとの闘ひか.
    何にと,これを,その,張つてなのかな.
   廷臣. 王には,はい,十二本の手合せのうち,
    あちらの優位は,三本を超えまいと.あちらは,
    十二本の中(うち),九本を取ると賭け,ならば早速に,
    手合せをと,もしも殿下が,これに御應へ下さらうなら.
  ハムレ. で,その,答へが否となら.
55 廷臣. つまり,いえ,手合せで,相手に應へてと.
  ハムレ. では,廣間を步いてゐようから,御所望なれば,
    こちらは稽古の時刻でも.細身の劍が運ばれ,
    相手もお望み,そして王もその氣なら,
    勝ちを獲つても差し上げようが,負けてこちらの,
    手にするものは,名折れと打たれ傷か.
   廷臣. では,お受けにと,持ち歸つても.
  ハムレ. どのやうにでも,飾り附けも存分に.
   廷臣. 有難き此の勤め,殿下の御(おん)爲に.    退る.
60 ハムレ. 有難いとは,己(おの)れの勤めへか.他からは,
    有難がられまい.
   ホレイ. タゲリ(田鳧)の老成(ませ)た雛よろしくに,
    卵の殻を,頭に走つて.
   ハムレ. 赤子の時には乳房(ちぶさ)にさへも,辭儀(じぎ)した口だ.
    あゝした手合ひ,いやそれが,群れを成し,下らぬ今の,
    世に持て囃(はや)されて,只〻洒落た物言ひと,上邊の人附合ひを,
    身に附けて.あぶくの寄せ集めだ.かくして連中は,
    とことん如何にもの,見下げ果てた御意見を作る.
    ひとたび息を吹掛けるだけで,泡は消え去るに.
            貴族 出る.
  貴族. 殿下,陛下には先ほどオーストリックを遣はされ,
    あれによれば,廣間にて待たれるとの事,ついては,
    今,レィアティーズと手合せなさるか,
    時間を取られませうかのお言葉をと.

[Q2では,こゝで,前(さき)の廷臣の『名』が Ostricke であると明かされる.さぞや ostrich (この時代では『駝鳥』の意ではなく,鳥一般を指したやうだ) を聯想させる身形,仕種であつたのだらう.ホレイショーが Lapwing タゲリ(田鳧) とも形容してゐるほどである.觀客は如何にもの『名』に,可笑しみを覺えたに違ひ無い.]

  ハムレ. こちらは構はぬ.いづれ,御(ぎよ)意のまゝに.
    宜しくば,こちらは何時でも.今でも何時にても.
    たゞしは調子が,今のやうなら.
65 貴族. 國王竝びに女王をはじめ,方〻も直ぐに.
  ハムレ. それは幸ひ.
  貴族. 女王樣には,是非あなた様より宜しき御挨拶を,
    レィアティーズへ,お手合せまへにと.
  ハムレ. (かたじけな)き,お言葉か.
  ホレイ. これは,負ける事に.
70 ハムレ. さうは思はぬ.あれがフランスにゐる間,
    こちらも缺(か)かさず稽古を.勝てよう,あの賭率なら.
    が,判るまいが,何やら厭な,思ひが胸に渦卷いて.
    いや,何の事は無い.
  ホレイ. いけませぬ,それは.
  ハムレ. なに,莫迦なことだ.言ふなれば,ほんの氣懸かり.
    たぶんは取亂さう,女なら.
  ホレイ. 心染まぬなら,隨がつてこそ.まづは,お越しを止め,
    今は折惡しと傳へませう.
  ハムレ. 要らぬ事.氣にもならぬ胸騷ぎ.神の思し召しは,
    一羽の雀,地に落つるにさへ.それが今なら次は無し.
    まだ來ぬものも今來よう.今でなくともやがて來る.
    心構へこそ總て.誰とて爲(し)殘す事はあらうに,
    どれを今更,爲殘せと.知らぬ.
      卓の用意と,トランペットとドラムに連れ,
    クッションを運ぶ侍者たち.國王,女王,および皆〻,
     手合せ用の劍,短劍,そして,レィアティーズ 出る.

[これまでの經緯からして,ガートルードのみ硬い表情,尠くも無表情と考へる.ガートルードは第18場のハムレットからの手紙により,クローディアスの劃策したハムレット暗殺の企みの顚末を知つてゐる筈である.一方クローディアスの方は,これまでにも無く,上機嫌であらう.]

75 國王. こゝへと,ハムレット,さあ,この手を取れ.
  ハムレ. 許して貰ひたい,濟まぬ事をした.が,許しを,
    武人たる者の,心を示し.皆の知るとほり,また,
    そちらも聽き知らう,どれほど此の身が自(みづか)らの,
    酷い亂心(らんしん)に惱んでゐるかを.
    我が身の仕業(しわざ)が,そなたの心と名譽を傷附け,
    深い苦痛を與(あた)へたは,まさにいづれも,狂氣の仕業.
    ハムレットは惡意から,レィアティーズを.
    いゝや,違ふ.もしハムレットが己れを見失ひ,
    我れ知らずして,レィアティーズを傷附けたとしても,
    それは,ハムレットの爲した事ではない,それは違ふ.
    誰が,では.その狂氣がだ.ならば,ハムレットも,
    傷附いた者のひとり.狂氣は哀れなハムレットの敵.
    どうか,惡意は無しとの辯明(べんめい)を,
    その寛(ひろ)やかな心に受け容れ,あれは,
    放てる弓矢が甍(いらか)を超えて,はらからを,
    傷したものと思つて欲しい.

      [『狂氣』は『復讎の嚴命』と讀み替へ出來ようか.]

  レイア. 今やそれは,承(うけたまは)つて.
    固(もと)より強き復讎の念に驅られる事なれど.
    が,事我が名譽については,別の事.
    未だ承服致す譯には,人の譽れに,
    通じた方〻よりの御意見と,先例に照らし,
    我が名を穢す事なきを.が,それまでは,
    友好の申し出を,お言葉通りに受け,
    無とは致しませぬ.
  ハムレ. 有難き事と.では,友はらからの,心置きなの,
    手合せを.稽古刀をこちらへ.
  レイア. それ,こちらへも.
80 ハムレ. 劍捌きの,手本を願ふ,レィアティーズ.
    こちらは夜空の役となり,星たるそなたは,
    更にも輝かう.
  レイア. おからかひを.
  ハムレ. いや,まさに.
  國王. 二人に手合せの劍を,オーストリック.
    さて,ハムレット,これが賭だとは.

   [ハムレットへの語り掛けは,氣を逸らさせて,レィアティーズに劍を選ばせる爲であらう.]

  ハムレ. それは,存じて.王には好條件を弱き方へと.
85 國王. 案じてはをらぬ.二人の手竝(てなみ)は知つてゐる.
    が,あちらは上手(うはて).それゆゑ,賭に差を.
  レイア. これは重すぎる.ひとつ他のを.
  ハムレ. これが良ささうな.どれも,同じ長さかな.
  オース. はい,それは.
  國王. さあ,ワイン差し [複數]を,あの卓に.
    もし,ハムレットが一戰目,または二戰目を,取るか引分けて,
    三戰目に持ち込まうなら,悉くの城壁は,大砲を放て.
    王は杯を傾けて,ハムレットの健鬪を讚へ,その杯に,
    瑪瑙の玉を投じよう.更にも勝(まさ)らう,四代の,
    デンマーク王の戴いた,冠(かむり)の寳玉に.
    寄越せ,杯[cups]を.さあ,太鼓手はトランペットに吿げ,
    トランペットは砲手を促し,大砲は天へ,天は大地へと.
    では,王が飲む,ハムレットの爲に.それ,始めよ.
         トランペットの吹奏を插み.
    よいな,審判[複數],目を凝らせ.
90 ハムレ. いゝぞ,さあ.
  レイア. さあ,どうぞ. 
         [二人闘ひ,ハムレットが勝つ.]
  ハムレ. 一本.
  レイア. いや.
  ハムレ. 審判.
95 オース. 入つて.まこと申し分無く.
          ドラム,トランペット,大砲の音.
  レイア. よし,次へ.
   國王. 待て,こゝへ,酒を.ハムレット,この寶玉は,
    そなたのもの.それ,健やかなれと.[瑪瑙を杯に入れる.]
    あれへ,杯を.
  ハムレ. まづ,この一番を終へ,それまでは.
        [再び闘ひ,ハムレットが勝つ.]
  ハムレ. それ.また一本.どうだ.
100 レイア. 今は,たしかに.
    國王. 我が子が勝たう.
    女王. あれは太り肉(じし),息も切らせて.
    これを,ハムレット,このハンカチで額の汗を.
    女王が飲み干す,そなたに幸あれと,ハムレット.    

[ガートルードがハムレットへの『祝福』を申し出る.第11場 でハムレットから And when you are desirous to be blest, Ile blessing beg of you, 「さう,ご自身が心から神に祝福(赦し)をと求められた時,母上からの『祝福』を乞ふ事に.」と退けられた『祝福』をこゝで與へる.ガートルードは,ハムレットからの手紙により,クローディアスがハムレットの殺害を圖つた事を知らされたものと考へられ,それを機に,悔悛したものと言へる.ハムレットはガートルードが心からの『悔悛』を決意したと取り,禮の言葉ではなく Good Madam.  とそれに應じるのだ.かくして亡靈の,またハムレットの希望の一つは果たされた.ハムレットの『荒削り』が,功を奏し始めたのである.たゞその時にガートルードの手にした杯は,クローディアスにより毒が盛られたものであり,思はぬ結末を迎へるのであるが.]

  ハムレ. 受けませう.
   國王. ガートルード,飲むでない.
105 女王. 是非に,これは.どうぞ,お許しを.
     [ハムレット跪き『祝福』を受ける,と譯者は考へる.]
   國王. [傍白]あれには毒が.もう遲い.
  ハムレ. わたくしは,まだ飲まず,その内に.
   女王. おいで,そなたの顔を,拭は[さ]せておくれ.
  レイア. 陛下,必ず次は.
110 國王. さうは思へぬ.
  レイア. [傍白]が,心には,咎めるものが.
  ハムレ. さあ,三番目を,レィアティーズ.
    どうやら力を拔いて.賴むから,突くなら本氣でだ.
    こちらを,からかふ氣だらうが.
  レイア. ならば,さあ. [激しく闘ひ,引き分けとなる.]
  オース. 止め,勝負なし. 
     [別れ際,レィアティーズ,ハムレットを襲ふ.]
115 レイア. これで,どうだ.
     [ハムレットに傷を負はせ,二人,再び鬪ふ.]
 國王. 分けよ,ともに逆上を. 
     [この間にハムレット,相手の劍(毒劍)を奪ふ.]
  ハムレ. いゝや,さあ,來い. 
     [闘ひ,レィアティーズに傷を負はせる.]
  オース. あれを,女王の御樣子が.
  ホレイ. お二人,血を流し.どうされて,殿下.
120 オース. どうした,レィアティーズ.
  レイア. なに,間拔けた山鴫(しぎ)が,己れの罠にだ,
    オーストリック.命を絶たれるも,己が裏切りゆゑ.
  ハムレ. どうした,女王は.
  國王. 氣を失うてだ,血を目にして.
  女王. いえ,違ふ,お酒,あのお酒で.おゝ,私のハムレット.
    お酒に,毒を盛られて.[息絶える.]
125 ハムレ. おゝ,卑劣な,それ,扉を閉ざせ.謀叛だ,
    探せ,下手人を.
  レイア. こゝにと,ハムレット.あなたのお命は無い.
    如何なる藥も效きませぬ.もはや小半刻(こはんとき)と無き命.
    陰謀の道具はこの手に,先を尖らせ,毒が塗られて.
    その企みが,そのまゝこの身に.それ,かうして倒れ,
    二度と立てず.母上は毒で命を.もう駄目だ.
    王が,王にこそは,その罪が.
  ハムレ. 切つ先に毒までも.ならば,もう一働きせよ.
       [毒劍で王を傷附ける.]
  皆〻. 謀叛だ,謀叛だ.
  國王. おゝ,守つてくれ,誰か.たゞの手傷だ.
130 ハムレ. さあ,不義と殺人の,罪持つデンマーク王.
    飲み干せ,毒を.貴樣の瑪瑙では.續け,我が母に.
       [國王,絶命す.]

[ハムレットは, こゝで Follow my mother. 「續け,我が母に.」とクローディアスに言ひ渡すが,これをもつてガートルードともども「地獄へ墮ちよ」の意と取る向きがあるが,如何なる死者であれ,はじめに赴くのは,地獄でも天國でも無く,亡靈の臺詞にあるやうに,死後の裁きの廷(には)である.そもそも人間自身には,死後の世界のあれこれを,選ぶ手立ては無い.]

  レイア. あれぞ,まさに,身の報い.毒は自らが練り上げの.
    互ひの罪を許し合ひたい,我が王子ハムレット.
    この身と父の死が,あなたを罪せず,
    この身も同じくにと.        [息絶える.]
  ハムレ. 天がそなたに,赦しをと.こちらも直ぐ行く.
    今や死が,ホレイショー.憫れな女王,お別れを.
    皆,また,蒼褪め,震へてゐるでは.黙(だんま)り芝居の,
    役者連か,それとも見物の.時がさへあれば,何しろ,
    黄泉の國の捕り手は容赦無し,おゝ,話したい事も,
    が,今は,はや.ホレイショー,これまでだ.
    どうか永らへ,この身のまことを,譯知らぬ者たちの耳に.
  ホレイ. いえ,わたくしには.デンマーク人であるよりも,
    寧ろ古(いにしへ)のローマ人(びと)たらん.こゝにまだ,
    殘りの酒が.
  ハムレ. 男なら,寄越せ杯を.離せ,いいや,許さぬ.
    おゝ,賴む,ホレイショー,何たる汚名が今や殘らう,
    世を去りし後に.もしや此の身を思ひ遣らうなら,
    暫し安らぎの時から離れ,この荒(すさ)んだ世に,
    辛き命を永らへてくれ,この身の眞(まこと)を語り繼ぐ爲に.
        進軍の樂音等,遙かに聞こゆ.
     何だ,あの,騷はぎは.
         オーストリック 出る.
135 オース. 王子フォーティンブラス殿,遠征軍を率ゐ,
    ポーランドより戾られ,イングランド大使一行へ,
    禮砲を放たれて.
  ハムレ. おゝ,いよいよ,ホレイショー,凄まじき毒が,
    意識を奪ひ去る.もはや保つまい,イングランドからの,
    知らせを聽くまで.が,言ひ遺し置く,
    王位はフォーティンブラスの上にと,
    これが遺言と傳へてくれ.事の仔細も,これまでの.
    もはや,黙るほか.     [ハムレット,息絶える.]
  ホレイ. 氣高きお心も,今や散り.お休みを,愛しき殿下.
    飛び交う天使よ,安らぎの歌を.あれは.
         ドラムの音が近附いて.
      フォーティンブラス,大使たちとともに,出る.
  フォー. どこだ,その場所は.
  ホレイ. 何を御覽になりたいと.歎きと悲しみの總てなら,
    こゝに.
140 フォー. (しかばね)の數が,その凄まじさを.驕れる死神よ,
    如何なる宴(うたげ)を奈落でと.これほど多くの貴人の命を,
    一撃でとは.
  大使. この慘たらしさ.我がイングランドよりのお知らせも,
    遲すぎた.聽かれる方〻の耳へは屆き得ず,
    御命令を果たし,ローゼンクランツとギルデンスターンの,
    死をお傳へしても,何方(どなた)にお褒め戴けませうや.
  ホレイ. 何も,王からは,もし今も,生きてありませうと.
    それは,王からの命ではありませず.が,今,奇しくも,
    血腥き場へ,こちらはポーランド遠征から,
    こちらはイングランドからいらしたからは,
    どうか命じられ,これらの遺骸を壇上高く,見やすき處へと.
    そしてわたくしから,まだ譯知らぬ世の人〻に,
    事の經緯(いきさつ)を.すれば,この,
    不義と血腥き非道な行ひと,まさかの裁きと思はぬ殺害,
    企みにより強ひられたる死と,そして更には,目論見が外れ,
    企みし者たちの頭上に降り落ちた,それらの顚末.
    すべてを有りのまゝ,お話出來ませう.
  フォー. 直ぐにも聽かう.それと,諸侯らをその場へと.
    この身は悲しみつゝも,これを天の惠みへと.
    聊かは,この王國の行方には,關りを持つ.それを今,
    明らかにして置きたい.
  ホレイ. その事につき申し上げる事が.王子のお言葉ゆゑ,
    お力添となりませう.が,先ほどの事をすぐにでも.
    今は人心も荒(すさ)み,この上の陰謀や過ちを生まぬ爲に.
145 フォー. さあ,隊長四人で,ハムレットを武人として壇上へと.
    いや,まさしくも,位を得なば,さぞや秀でし王に.
    安置への間,軍樂を奏し,禮砲を高らかに響かせよ.
    他の遺骸は片附けよ.この有樣も,戰の場(には)であれば,
    が,こゝにはそぐはぬ.直ちに禮砲をと吿げよ.
                           全員退場.

2011年10月29日土曜日

ハムレット SCENE 19

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 19
道化方 二人 出る.[一人は墓掘り,相方は小役人.
舞臺中央に切り穴(墓穴用)日中の靈園との想定]

[原文のト書きは「道化方二人出るEnter two Clownes.」としか無い.この爲か殆どの上演では二人共〻墓掘りとして扱はれるが,しかし遣取りからすると一方は墓掘りだが,相方は墓掘りに指示を與へる小役人であると考へる.身分の違 ひがあればこそ,妙な頓智で墓掘りが優位に立つ事の可笑し味も出る.墓掘り同士では意味をなさない.また,身分の逆轉は此の後ハムレットによつても指摘さ れるところである.]

 道化. と,娘子の墓は,クリスチャンの扱ひでかね.
    好きでやつた,自前の『お召(め)し』だのに.
  相方. 言つたとほりだ,だから墓は,眞つ直ぐにだ.
    [東西つまり聖地エルサレムに向けての意.]
    檢視方が調べ上げ,クリスチャンで好いさうだ.
  道化. なんで,あれが.身投げで我が身を庇(かば)つたてなら,
    別だがさ.
  相方. なあに,さうだと.
 道化. なら,まあ,『自虐權の行使』だな.違ひ無い.
    と申すのはだ,もし,吾輩が態(わざ)と溺れる.
    これすなはち『行ひ』なり.と,この『行ひ』には,
    三つの型あり.行ふ,仕出かす,してみせる.
    よつて娘は,態とに身を投げた.

[自殺に至る經緯を3段階に分けて分析した法廷辯論は現實に存在した.それを道化は,3段階ではなく3種類として理屈をこねる.つまりパロディーである.]

  相方. おい,いゝかね,大將,墓掘りの.
  道化. 暫しお耳を.こゝに水があり,さう.こゝには男が,然樣.
    この男が水邊(べ)に出向き,身を投げる.すれば否でも應でも,
    仕出かすとなる.よいかな.が,もし,水の方から,
    出向いて男を呑んだなら,身投げにあらず.かるがゆゑに,
    男は身を投げず,己が命も縮めてをらぬとす.
  相方. それが,法律に.
  道化. あるともさ.檢視方の『三ダン論』て『法』が.
10 相方. 聞くかね,本當んとこを.これが,名のある,
    武家(ものゝふ)連の娘でなけりや,クリスチャンの墓からは,
    閉出しさね.
  道化. いや,もつともだ.哀れなものさ,お偉いさんは,
    その役得があるもんで,身投げと首括(くゝ)りを,
    やらかし易い,竝(なみ)のクリスチャンより.
    それ,鋤(すき)をくれ.今や大昔から續く武家(ものゝふ)となると,
    庭師か土方か墓掘りだけだ.アダム以來の家業を掲げて.
  相方. は,アダムが武家(ものゝふ)
  道化. 世に初めての,紋章持ちさ.

[「さあ,鋤をくれ」以下の遣取りは1604年版の Q2 では,ここまでである.原文の出だしは Come my spade で,譯者の解釋としては,もともとは「ここへ來い,我が spade よ」と spade(鋤) に呼掛けて,「今や大昔からの…」以下は spade を翳し,誇らしげに語り掛ける臺詞だと考へる.
  spade はもともと刃物を意味し,トランプのシンボルは武家階級を表す圖形化された刀劍である,墓掘りは,あたかも武人 gentleman が劔に語りかけるが如くの素振りをしたものと考へる.
  墓掘りによればアダムこそはこの世で初めて spade すなはち Armes(= 武器)を携へた人間であり,そして,bore Armes ( > bear arms) とは紋章を身などに帶るの意ともなり,アダムは gentleman に違ひないとなる.その spade を今も持ち續けてゐるのは,庭師,土方,墓掘りだけであり,それこそが眞性の gentleman であると言ひたいのだ.
  さらに,1623年版ではあらたに遣取りが加はつた.相方が「アダムは無一物の筈だ」と言ふと「聖書によれば,この世に初めての人間であるアダムは,樂園追放後,地を掘る dig すなはち耕したからは,Arms すなはち spade を持つてゐなかつた筈は無く,Arms 持ちであれば,gentleman に違ひ無いといふのである.
  いづれにしても,spade を Armes と言ひ換へ,bore Armes を熟語に擦り替へ,つまりは原語に固有の屁理屈で,そのままでは何とも日本語にはなり難く,苦肉の策として,1623年版の遣取りと,Arms を紋章の意と解釋する説を織り交ぜて,ご覧の通りの遣取りに仕立てた.ああ,しんど.]


  相方. まさか,持つ譯が.
15 道化. え,あんたは異教徒か.どう聖書を理解しとるね.
    聖書に曰(いは)く,アダム,地を掘れり.とは,ハタ(畑)仕事だ.
    ハタ(旗)と來りや,紋章は附かうがね.よし,今一つ尋ねよう.
    もしその答へ,的を射なくば,身を悔ひて後(のち)….
  相方. よせや.
  道化. では,誰が,石工(いしく)や船(ふな)大工や大工より,
    堅固(けんご)なる物の,造り手なるや.
  相方. (しば)りッ首の臺(だい)造り.持ちの良いこと,
    店子(たなこ)が千人替つてもと來る.
  道化. なかなかやるでは.ありや,持ちは良い.が,どう良いか.
    店子てのは惡黨(あくたう)の事だ.そこが不屆(ふとど)きな.
    堅固なること,首吊り臺(だい)が教會に,勝(まさ)ると言ふも同然の罪.
    かるがゆゑ,あの臺は,お前さんにこそお誂(あつら)へ.
    別の答へをだ.
20 相方. 誰が,石工や船大工や大工より,堅固な物の,造り手かだと.
  道化. 然樣.當たれば釋放(しやくはう)
  相方. さう,あれだ.
  道化. どうれ.
  相方. あゝ,いや,判らん.
25 道化. 頭の惡足搔き,そこまでだ.血の巡りは驢馬(ろば)の脚竝み,
    鞭(むち)を當てゝも直らんさ.では何時か,この問答を,
    仕掛けられたら,『墓掘り』とこそ.造れる住(すま)ひは,
    最後の審判の,その日までとだ.さあ,行つた,
    店屋(みせや)から酒を,一杯がとこ.       相方,退る.
     若き日の 戀(こひ)の直中(たゞなか),       歌.
     甘さに醉ひ痴(し)
     時の費(つひ)えも 省(かへり)みず
     戀に勝(まさ)るもの無しと

         そこへ,ハムレットとホレイ ショー出る.
 ハムレ. はて,この男,厭(いと)ひもせずに,
    鼻歌混じりで墓掘りを.
 ホレイ. (なら)ひが身に附き,氣樂な性(さが)にと.
 ハムレ. なるほど,慣れぬ手でこそ知る熱さとも.
  道化.  だが忍び來る 老いの影           唄ふ.
      逃(のが)れ難(かた)き その爪が
      奈落(ならく)の底へと 引き込めば
      かつての日〻は 影も無し.

            と,髑髏(どくろ)を投げ揚げる.
30 ハムレ. あの髑髏にも舌があり,歌を唄ひさへ.
    何と彼奴(あやつ)め,それを地べたに叩き附け,
    まるでカインの,驢馬の顎骨扱ひに.
    あの,世に初めて,人を殺(あや)めた兇器となつた.
    これも或いは,カイン同樣,策士と呼ばれた男の頭とも.
    今は間拔けめに弄(もてあそ)ばれて,かつては神をも,
    欺いたらうに.どうだ.
  ホレイ. 或いは,はい.
  ハムレ. または,宮仕への.となると,
    “お早いお目覺(めざ)で,いと御機嫌,麗しく”,
    などの手合では.某(なにがし)閣下の馬を褒めちぎり,
    強請(ねだ)り取らうとの下心.どうかな.
  ホレイ. 有り得ませう.
  ハムレ. だのに今や,蛆蟲夫人の想はれ人(びと)
    顎(あご)を外され,腦天を,寺男の鋤(すき)に叩かれて.
    人の定めの巡る樣が,透けても見えるか.
    骨となるまで生きたのは,棒投げ遊びの道具竝みに,
    扱はれよう爲などでは.こちらの骨も疼(うづ)き出す.
35  道化. 鶴嘴(つるはし)振るひ鍬(くは)で掘り       唄ふ
      死に裝束(しやうぞく)に丈(たけ)合せ
      さて穴藏を 今直ぐに
      そんなお客に どんぴしやの   
と,また,髑髏を投げ揚げ.
   ハムレ. それまたか.はて,もしやあの髑髏,
    辯護士かとも.どこへ遣つた,得意の屁理窟は.
    言ひ拔けと訴訟の山と,權利がどうのゝ驅(かけ)引きは.
    なぜまた大人しく,無禮な輩(やから)に,
    泥のシャベルで小突かれながら,言ひ返さぬのだ.
    傷害の罪で告訴してやると.ふむ,この男,
    世にある時は,手廣(びろ)く土地を買ひ漁つてゞは.
    やれ,擔保(たんぽ)だ證文(しようもん)だと,和解の證(あかし)や,
    證人立ての仕組を逆手に,己がものに.
    「揚げ句」が,この樣(ざま).和解も今や瓦解と變り,
    土地はと言へば,髑髏(どくろ)に詰まる土塊(つちくれ)のみで,
    「けり」附きに.今でも保證人や證人が味方をすると.
    間口奧行,高が割符證文(じようもん)一枚にすら及ばぬに.
    書類の束さへ,この入れ物では納まらぬ.しかも,
    手に殘るものが髑髏のみでは.
  ホレイ. 何も他には,はい.
  ハムレ. 證書の造りは,羊の革か.
  ホレイ. はい,それは.他に犢(こうし)も.
40 ハムレ. つまりは,羊と犢に己(おのれ)を委ねる爲體(ていたらく)
    さて,男と話でも.誰の墓かな.
   道化. あたしんで.
       さて穴藏を 今直ぐに          唄ふ
  ハムレ. 如何樣(いかさま),お前のか.答へも「いかさま」ゆゑ.
   道化. いえ,逆樣で.拵(こしら)へなければ,穴なんぞ無し,
    そちら樣は拵へはせず,となれば,拵へた,あたしんで.
  ハムレ. なるほどの,拵へ事を.墓は死人(しびと)のもの,
    生き身の持ち物ではない.やはりは,いかさま.
45  道化. いや,驚いた,死人が墓を拵へるかね.やはりは逆樣,
    で,お尋ねは.
  ハムレ. どんな男の墓になる.
   道化. いえ,男では.
  ハムレ. どんな女と.
   道化. それが,どちらでも.
50 ハムレ. 誰が,では,入るのだ.
   道化. かつては女人(によにん),が,安らかなれ,
    今では死人(しにん)で.
  ハムレ. 見事やられた.言葉を選ばぬと,揚足を取られる羽目に.
    まつたく,ホレイショー,こゝ數年氣になるが,世の中が進み,
    今や農夫の爪先が,宮仕への皹(あかぎれ)持ちの踵(かかと)を蹴る圖(づ)に.
    何年になる,墓掘りになつて.
   道化. 數多(あまた)日のあるうち,始めたその日,
    前(さき)の國王が,フォーティンブラスを打ち負かして.
  ハムレ. で,何年に,その日から.
55  道化. 知らんのかね,どんな阿呆でも知るものを.
    まさにその日,ハムレット王子がお生まれに.
    あの,氣が違つて,イングランドに送られた.
  ハムレ. さうか.が,何故またイングランドへと.
   道化. そりや,氣違ひだからで.直るさ頭も,
    彼處(あそこ)でなら.ま,駄目でも構はん,彼處なら.
  ハムレ. なぜ.
   道化. 目立たんからで.彼處でなら,あれ位には,
    皆んな氣違ひで.
60 ハムレ. で,何故氣が違つた.
   道化. えらく,妙だと言ふ事で.
  ハムレ. どう,妙なのだ.
   道化. それがだ,正氣では無いさうで.
  ハムレ. その元は,どのあたりに.
65  道化. 元も今も,あたしや,デンマークで.
    寺男になつてから,かれこれ三十年さ.
  ハムレ. どれほど掛る,人が土の中で腐るまでに.
   道化. さうさね,腐る前に死んでゐりやだが,いや何せ,
    瘡(かさ)つ搔きが近頃多くて,埋めるまで保(も)ちやしない,
    まあ,大方(おほかた)は八年か九年.革職人なら,
    九年は保つが.
  ハムレ. 何故,永く保つ.
   道化. そりや,家業柄(がら),自分の革も鞣(なめ)されて,
    水を永い事,撥(はじ)くんで.この,水てえのが曲者で,
    死人(しびと)の軀(からだ)を腐らせる.それ,この髑髏,
    土ん中に,二十と三年埋まつてた.
70 ハムレ. 誰のだ.
   道化. (てて)無しの氣違ひ野郎.誰んだとお思ひに.
  ハムレ. いや,判らんな.
   道化. ペストに取つ憑かれろ,氣違ひめが.
    昔,葡萄酒一壜,ひとの頭に浴びせやがつた,
    そいつの髑髏で.まさに,ヨーリックてえ,
    王のお伽(とぎ)(がた)の.
  ハムレ. これが.
75  道化. さうとも.
  ハムレ. 何と哀(あは)れや,ヨーリック.
    この男だ,ホレイショー,果てしも無しに洒落のめし,
    しかも頗(すこぶ)る氣が利いてゐた.負(お)ぶはれた事も數へ切れぬ.
    今や何とも,悍(おぞ)ましい思ひ出に.吐き氣を催す.
    このあたりに唇があり,接吻(くちづけ)も,幾度(いくたび)と無く.
    どうした,何時もの輕口は.浮れ踊りに戲(ざ)れ歌に,
    閃(ひらめ)きに滿ちた陽氣振りは.あの,よく食卓の,
    皆をどつと笑はせた.もう,打止めか,齒を剝(む)き出しての,
    作り笑ひは.窶(やつ)れが過ぎて,出す顎(あご)も無しか.
    さあ,行け,侍女の控へゝと.で,言つてやれ,
    厚化粧する傍(かたは)らで,何(いづ)れはかくなる,
    お顔立ちにと,笑はせてやれ.
    ひとつ,ホレイショー,聞きたいが.
  ホレイ. 何をでせう.
  ハムレ. どうだ,大王アレクサンダーもこんな姿か,土の中では.
  ホレイ. やはりは.
90 ハムレ. で,臭(にほ)ひもか.ぷッ.
  ホレイ. やはり,はい.
  ハムレ. と,墮ち行く先はどんな事にと,ホレイショー.
    有り得よう,アレクサンダーの尊(たふと)き土塊(つちくれ)も,
    果ては酒樽(さかだる)の口穴を塞(ふさ)ぐ,素燒きの栓(せん)にとも.
  ホレイ. お考へは,御杞憂かと.
  ハムレ. いや,戲(ざ)れ言(ごと)では.行く末を,ごく控へ目に,
    追つてみても,さうならうでは.
    アレクサンダー,死して葬られ,アレクサンダー,
    塵(ちり)へと戾り,塵は大地へ,その地より,
    人は粘土を取り出(い)だし,粘土は形を變へ,
    何時(いつ)しか酒樽の栓となる.
      帝王シーザー,死して粘土となり,
      壁穴を塞(ふさ)ぎ,風を平(たひら)げむと.
      おゝ,その土こそ,かつては世界を戰(をのゝ)かせ,
      今や壁の塞ぎとて,雨風へ戰(いくさ)を挑む.

    いや,待て,靜かに,こちらへと王が.
國王 女王,レィアティーズ,及び亡骸(なきがら)
その他,司祭,廷臣らの一團,出る.
    女王に廷臣達まで.誰の弔ひだ.ろくな葬列も無く.
    と,柩(ひつぎ)の主は望みを失ひ,自ら命を.
    身分ある者だ.蔭(かげ)で樣子を.
95 レイア. 他に儀式は.
  ハムレ. あれは,レィアティーズ,なかなかの若武者だ.
    それ.
  レイア. 他に儀式は.
   司祭. 埋葬の儀は出來得る限り,許されようまでは.
    死因には疑ひもあり,王の特命無くば,査問も覆らず,
    靈園の外に棄て置かれうもの,神の審判のその日まで.
    となれば,慈悲の禱(いの)りに代り,道往く者に,
    石や飛礫(つぶて),皿の缺片(かけら)を投げ附けられて.
    それをかうして,乙女を標す花環を許され,花も撒き,
    鐘を鳴らしての埋葬が,出來ましたでは.
  レイア. もう,何もせぬと.
   司祭. この上は,もう.すれば,貶(おとし)むる事に,
    死者への勤めを.鎭魂の歌や安らぎを禱るなど,
    他の安らかな魂と,同じくしては.
100 レイア. 亡骸を大地へ.その美しく淸き軀(からだ)より,
    菫(すみれ)の花ぞ,咲き出(い)でよ.
    良く聞け,情けを知らぬ坊主.
    天上の天使ともならう,妹こそは.
    その時地の底で,呻き囘るがよい.
  ハムレ. なに,あの,オフィーリアが.
   女王. 似合ひの花を優しいお前に.お別れを.
    やがてはお前を,ハムレットの妻にと思ひ,
    その時は,閨(ねや)を花で飾らせようと,
    お前の墓をなどでなく.
  レイア. おゝ,幾重(いくへ)もの苦しみが,十重二十重(とへはたへ)
    あの呪はしき,男の上へ降り懸れ.彼奴(あやつ)の仕業が,
    お前の正氣を奪つたのだ.待て,大地よ,暫(しば)し.
    今一度,胸に抱き締めるまで. [墓に入つて.]
    さあ,積み上げよ,汝(なんじ)が土もて,生者もろとも.
    この地が山となり,汝築きしペリオンの嶺を超え,
    天に聳(そび)ゆる,オリンパスをも凌ぐまで.
  ハムレ. 何者ぞ,歎きの,餘りの仰〻しさ.
    その悲しげな臺詞に竦(すく)み,空往く星も往き惑ひ,
    我を失ひ,聽かされるが儘(まゝ)に.まさに,
    王家の,ハムレットだ.
  レイア. 惡魔よ,奪へ,彼奴(あやつ)の魂を.
105 ハムレ. 悪魔に願ふとは.こちらはお前に.手を離せ,喉の.
    こちらは血の氣の多い質(たち)では,が,何時滾(たぎ)らぬとも知れ.
    さあ,離せ,手を.
   國王. 分けよ,二人を.
   女王. ハムレット,ハムレット.
   皆〻. お二方.
  ホレイ. どうぞ,殿下,穩やかに.
110 ハムレ. いや,引くものか,この一件では.兩の眼の,
    黒いうちは.
   女王. 何を,また,一件とは.
  ハムレ. 愛してゐた,オフィーリアを.たとへ幾萬,
    兄はらからが寄らうとも,愛の重みは,
    この思ひに敵(かな)ふまい.何をしたいと,あれの爲に.
   國王. おゝ,狂ふてのこと,レィアティーズ.
   女王. 賴みます,あれを許して.
115 ハムレ. 是非にもこゝで,見せてみよ.泣くか鬪ふか,
    食でも絶つか,引き裂くか,己が軀を.淚を引出す,
    酢でも呷(あふ)るか,空淚する,鰐(わに)でも食(くら)ふか,
    こちらもやらう.こゝへは淚に咽(むせ)びにか.當て附けに,
    墓へ跳び込むなど.さあ,生き埋めとなら,この身も共に.
    更に山を築くとなら,やらせるがよい.ありとある,
    土を積み上げ,頂が,太陽の焰(ほのほ)に炙(あぶ)られ,
    聳(そび)ゆるオッサの嶺でさへ,地表の痣(あざ)と見ゆるまで.
    大口をなら,引きはせぬ.
   女王. これは皆,狂氣の仕業.暫くはかうした發作が.
    やがてぢつと,金の和毛(にこげ)の,雛を孵(かへ)す雌鳩のやうに,
    ものも言はず,默り込む.
  ハムレ. 聞くが良い.何ゆゑ此の身に,あの樣な物言ひを.
    日頃は良き友とばかり.いや,もう,どうとも.
    いづれ,ヘラクレスの技にても,猫はニャーとのみ,
    犬も日がな,追ひ囘さうさ.                退場.
   國王. 賴みたい,ホレイショー,あれの側に.
    こゝは堪(こら)へよ,昨夜(ゆふべ)の話通り,例の事は,
    これより直ちに.さあ,ガートルード,見張らせよ,
    お前の子を.墓には後の世に殘る塚を築かう.
    穩やかな刻(とき)も,やがて程なく.それまでは,
    すべてを忍ぶのだ.                   退場.

2011年10月28日金曜日

ハムレット SCENE 18

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 18
國王とレィアティーズ 出る.王城の一室.
 國王. ならば心より,この身に咎(とが)は無しと認め,
    胸の内に味方として受入れるが良い.今その耳で,
    聞き分けし通り,あれが父上を殺めたは,
    この命を狙つてのこと.
レイア. そこは良く.が,しかし,何故それを咎めずにかゞ.
    事まさに,死に値する罪.お身を安(やす)んじ,先を憂ひてなど,
    總(すべ)てが手を下せと急(せ)き立てませうに.
 國王. そこには二つの大きな譯(わけ)が.お前の目からは,
    情け無き事と.が,この身には抗(あらが)ひ難(がた)い.
    妃はあれの母.明け暮れ我が子の事をばかり.
    片やこちらは,褒(ほ)むべき事とも病(やまひ)ともあれ,
    その妃こそ,己(おの)が命と魂の,據(よ)り處(どころ)
    夜空の星,天の巡(めぐ)りに隨(したが)う如く,
    妃無しには思ひも寄らぬ身.また,今一つ,
    裁きの場(には)へと引き出(い)だせぬは,民草どもの,
    あの男への愛.如何なる罪科(つみとが)も,情愛の水に浸せば,
    あたかも木切れが,光り輝く石へと變る,泉さながら,
    足枷(あしかせ)さへもが,雅(みや)びな飾りに.放つ弓矢とて,
    吹き返す,風の前には餘りのか弱さ.引き戾されて,
    的を射るなど覺束(おぼつ)きもせぬ.
レイア. かくしてこちらは父を失ひ,妹は,あの救ひ無き有樣に.
    妹こそは,今や虛(むな)しき譽(ほまれ)ながら,引けなど取らぬ,
    何時の世の,誰にさへも,瑕(きず)一つなき,その樣は.
    必ずや,仇(あだ)は此の手で.
 國王. (ひと)り思ひ詰めずとも.忘れるでない,この身もそれ程,
    間の拔けた愚か者では.この顎髭(あごひげ)を攫(つか)み引き囘す,
    危ふき輩を,たゞ眺(なが)め過(すご)しはせぬ.いづれ程無く,
    話して聞かせる.いや,お前の父上はより大事と.
    が,また,我が身も愛(いと)ほしい.と,かう言へば,
    察しも附かうが.
傳奏役,書狀を携(たづさ)へ,出る.
傳奏役. これを陛下にと.こちらは女王樣へ.
 國王. ハムレットから.誰がこれを.
傳奏役. 船乘りの者からと.わたくしは只,
    書狀をクローディオから,これは持參の者からと.
 國王. レィアティーズ,聽くが良い.[傳奏へ]退(さが)れ.
      國王陛下,先づは只今,無一物(むいちもつ)にて,
      御領内へ.明日,願はくはお目に懸り,
      お許しあらば,この,唐突にして不可思議な,
      歸還の顚末を.
    いつたい,これは.他の者等もか.或いは僞りの,
    繪(ゑ)空事か.(註1)
レイア. 手に見覺えは.
 國王. ハムレットのもの.無一物.また添(そ)へ書きに,
    ひとりでと.どう思ふ,これを.
レイア. 何が何(なに)とも.が,どうか,こゝへと.すれば和らぐ,
    胸の痞(つかへ)が.必ずや,その鼻先で罵(のゝし)つてやる,
    貴樣の仕業(しわざ)だと.
 國王. この通りとなら,レィアティーズ,事の經緯(いきさつ)
    眞僞(しんぎ)は措(お)いて,この身の指圖(さしづ)に從うてゞは.
レイア. それは,もう.こと穩(おだ)やかに,とだけ無くば.
 國王. 氣の濟むやうにだ.今やあれが,船路(ふなぢ)(なか)ばで,
    此の地に戾り,最早往(ゆ)かぬとなら,こちらには,
    上手(うま)い手が.今や時を待たうばかりの.すればあれは,
    逃れる術無く命を失ふ.しかもその死に何一つ,
    疑ひの風すら立たず,あれの母さへ目論(もくろ)みとは悟らずに,
    思はぬ災(わざは)ひと思はう筈.
レイア. お言ひ附けを.企(くはだ)てありとなら,この身は,その,
    手や足にとも.
 國王. それでこそ.お前の噂は旅立ちの後にも良く.
    それをハムレットも聞き,手竝(てな)み鮮やかとの事に,
    お前の他の長所總てを集めても,あれ程羨むまいものを,
    あの男,この事となると.數あるお前の譽れのうち,
    もつとも取るに足るまいに.
レイア. 何をでせう.
 國王. (い)はゞ,飾り紐(ひも),若い者が帽子に著(つ)ける.
    が,無くてはならぬ.若者には輕やかな,
    くだけた裝(よそほ)ひがこそ.歲(とし)(ゆ)く者なら,
    貂(てん)の毛皮と裾長(すそなが)の,服こそ位(くらゐ)と,
    重みを示すもの.ふた月ほど前,とある武人が,
    ノルマンディーから.これまで自(みづか)ら,
    手合せをしたフランス人は,いづれも馬術に長(た)けてはゐたが,
    この男,まさに魔術師.もしや馬の背に生れついたかと言ふ,
    手綱(たづな)(さば)きの餘(あま)りの見事さ.あたかも乘り手が,
    馬と融(と)け合ひ,半ばは馬に化したかと.いや,思ひ及ばぬ技の數〻.
    如何に思ひ,こらせども,繰(く)り出す技(わざ)には,及びもつかぬ.
レイア. ノルマンの男と.
 國王. ノルマン人だ.
レイア. 違ひ無い,ラモーです.
 國王. まさに,その.
レイア. 良く知る仲です.まこと秀(ひい)でた,かの國の寳(たから)
 國王. その男,僞(いつは)りの無きところとて,
    お前をなかなかの手竝みと稱(たゝ)へ,
    劍の捌(さば)きと身の熟(こな)し,細身の劍は殊(こと)にもと,
    聲(こゑ)を高め,それこそは見(み)物,張り合はう者,
    あらうならとも.國許(くにもと)の劍士連も,實は全く,
    動き,構へ,眼の著(つ)け處(どころ),何(いづ)れもお前に,
    敵(かな)ふまいと言ふ.と,この話がハムレットの,
    妬(ねた)み心に火を附けた.何を措(お)いても乞(こ)ひ願はうは,
    お前が直ちにも戾り,手合せすること.さて,そこでだが.
レイア. はて,そこでとは.
 國王. レィアティーズ,お前は父を,掛替(かけが)へ無しと.
    または繪面(ゑづら)の悲しみで,心は顔に伴(ともな)はずか.
レイア. 何故,その樣な.
 國王. いやなに,愛してゐなかつたなんぞとは,が,しかし,
    情の生まるゝも時の働き.となれば當然,時に情愛の,
    火花と焰(ほのほ)を細らせも.情といふ焰の中(うち)にも,
    臘燭(らふそく)の,燃え殘る芯が,火の輝きを弱らせる.
    何事も,良きまゝには止まれず,良き事嵩(かさ)を増すにつれ,
    良きが爲に,命を失ふ.爲(な)すべき事は爲さんと思ふや爲してこそ.
    思ひは移ろふ.勢ひは失せ,時を逃しも.言葉を費(つひ)やし,
    手立てに迷ひ,些事(さじ)に構(かま)けて.かくては,
    爲すべきだとの言葉すら,益無き溜息.氣休めの中(うち)に,
    己(おのれ)を病に損ひも.が,話は生きたる件(くだん)の出來物,
    そのハムレットが戾る.何をお前はしたいとな,我こそ父上の,
    息子なりとの,言葉に勝(まさ)る.
レイア. (のど)を搔(か)く,教會でゞあれ.
 國王. 殺人の罪に,安らぎの地,無し.復讎を妨げる隔ては無用.
    が,どうだ,レィアティーズ,かうしては.
    しばらく部屋に籠(こも)るがよい.ハムレットへは戾り次第,
    お前の歸還を知らせよう.こちらはお前の手竝み頗(すこぶ)る,
    優れてと愛(め)で,更にも,あのフランス人の語つた名聲に,
    輪をかけ語り,二人の手合せへと持ち込まう.これには賭の,
    褒美を附けて.あれは無頓著,窮めて鷹揚,まるで事を,
    巧(たく)むを知らず,劔も選ぶまい.かくて容易く,或いは輕く,
    混ぜなどし,お前はそのうち先止め無しの劍を選べ.
    そして一突き,手合せの中で,仇を討て.(註2)
レイア. やりませう.ならば,ある,油藥をその劍に.この塗り藥,
    とある商人(あきんど)から.命を奪ふその效き目,輕く浸した,
    ナイフが人の血に觸れたゞけで,如何に效き目あらたかな,
    滿月の下(もと)で造りし毒消しでゞも,命は救へぬ.
    それもほんの掠(かす)り傷で.劍の切つ先にその猛毒を.
    僅(わづ)かでも,膚(はだ)を掠(かす)れば,命は無い.
 國王. ではそれへ,更にもの手を.まづは如何なる,
    時と手立てが目論見に,適ふかを.もしやしくじり,
    手の内を顯(あら)はす不手際(ふてぎは)あらば,
    やらぬが増しに.それ故,策を,必ず補(おぎな)ふ,
    次なる手を.すれば,たとへ,出端(ではな)を挫(くぢ)かれるとも.
    いや,待て,先づそれらしき,賭けの品を二人の手竝みに.
    さうだ.手合せするうち,火照りに喉の乾きを覺えよう.
    よいか,鬪ひは,それゆゑ激しく.あれは飲み物を欲しがらう.
    こちらは杯を手囘しする.それを一口,啜(すす)れば最期,
    たとへ運良く,毒ある劍を逃れても,狙(ねら)ひは成し遂げられう筈.
    が,待て,あの騷ぎは.
女王,出る.
 女王. また悲しみが,踵(きびす)を接いで次〻と.お前の妹が,
    溺(おぼ)れ死んで,レィアティーズ.
レイア. 溺れて,おゝ,どこで.
 女王. 小川の際(きは),川面(も)へと伸びた大柳の木が,
    薄鼠(うすねずみ)の,葉裏の色を流れに映して.
    そこへ,あの子が,何に見立てたか,
    幾つもの輪飾りにした,鴉(からす)の足首草(ぐさ)や,
    刺草(いらくさ)や,鄙(ひな)びた小菊や,
    あの,羊飼ひが明け透けに,いけない名を附け,
    でも,乙女らは死人(しびと)の指と呼ぶ紫の花を手に.
    その野の草の輪飾を,垂れた大枝に懸けてやらうと,
    攀(よ)ぢ登つた時,これを妬(ねた)んだか,小枝が折れて,
    草の輪飾り諸共,あの子まで,雨に嵩(かさ)増す小川へと.
    服は水面(みなも)に開き,人魚のやうに暫くは,
    あの子を支へて.その間(あひだ)にも,子供の頃の,
    言祝(ことほ)ぎの歌を口ずさみ,身の危ふさも知らぬ氣に,
    水の中,生れ親しむ生き物のやうに.が,それも束の間,
    衣(ころも)は水に重みを増して,つひに哀れや,あの子から,
    歌を奪つて,死の泥底へと.(註3)
レイア. あゝ,そして,溺れてか.
 女王. 溺れて命を.
レイア. もう水は,要(い)るまい,憫れ,オフィーリア.
    それゆゑ淚は,流すまい.だが,抗(あらが)へぬ,
    自然の營(いとな)みか,嗤(わら)はば嗤へ.淚が盡(つ)きれば,
    女〻しさも去らう.お遑(いとま)を.言葉は火の如く,
    今にも燃え立たうと,が,愚かや淚の,水に消されて.  退る.
 國王. あれの後を,ガートルード,やうやくと,
    あれの怒りを鎭めたに,心懸かりが新たに,今また.
    それゆゑ,あの後を.                 退る.



(註1) 果たしてハムレットは,女王へはどのやうな内容の書狀を送つたのか.第11場の終りで,英國行きに關して,既に自分が何らかの罠を仕掛けられてゐると女王に吿げてゐる.それからすると,クローディアスの隱謀の全容を傳へる内容であると見る他は無い.


(註2) 上記國王の臺詞,下から三行目「あれ(ハムレット)は無頓著,窮めて鷹揚,まるで事を巧(たく)むを知らず」(原文は  he being remisse,  Most generous, and free from all contriuing, )との指摘は大變に興味深い.ハムレットといふ登場人物の性格と魅力を言ひ當てゝゐるからだ.一般に,その獨白を引合ひに出して『死への願望』や『憂鬱性』だのが強調されるが,さうしたものは『氣分』に屬するものであつて,幾らでも變化する.追ひ懸ければハムレットを見失ふことになるだけだ.それにしても,クローディアスが言ひ當てるといふ點が,絶妙である.


(註3) Ophelia の 花環について:ガートルードの臺詞「そこへあの…花を手に」の原文は Therewith fantastique garlands did she make /Of Crowflowers, Nettles, Daises, and long Purples / That liberall Shepheards giue a grosser name, /But our cull-cold maydes doe dead mens fingers call them. である.fantastique とは奇妙・不可解・意味不明などの意.つまり,何とは目的も意味も判らぬ花輪を拵へたと言つてゐるのだ.

 Crowflowers は,よく金鳳花と譯され,あたかも可憐な美しい花を想像させるが,原語の意味は,花を上から見ると鴉(からす crow)の脚を下から見たやうに見える事からの命名である.圖版で見る限り,聊かグロテスクな形と言ふ他は無い.全體的には,花と言ふより草の部類に花が咲 いたとの印象で,つまり野の草 weedes である.なほ,「鴉の足首草」なる名は,譯者が説明を籠めて勝手に附けた名で,實際には存在しない.
 Nettles は茎に細かな棘のある草で,花は貧弱だ.Daises は雛菊と譯されるが,日本語の雛は小さなもの,また鄙(ひな)すなはち田舎を意味する通り,それほど見榮えのしない花との印象である.第16 場では欺瞞を意味する花として登場し,戀の花でもあると言ふが,この花輪との關係は不明である.ガートルードが fantastique といふ程であるから,ともかく御手上げだが.
 long Purples は圖版で確認出來ず.蘭の類ひには『男性器』にそつくりなものもあり,その種のものであらうか.臺詞から想像されたし.
 いづれにしてもこれらの花は野草であ り,花は小型のものと思はれ,通常には花環に作られる事は無いのであらう.それが fantasique garlands の意味なのである.またガートルードは cronet weedes あるいは weedy trophies と呼んでもゐる.狂氣のオフィーリアが何の思ひを籠めたものか,見窄らしい花環であつた事が胸を打つ.


ハムレット SCENE 17

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 17
ホレイショー,その他 出る.王城の一室.
ホレイ. 誰かな,話がとは.
 廷臣. 船乘り達で.それが,書狀を持參したと.
ホレイ. では,こゝへ.はて何と,どこから書狀など.
    もしや,王子からの他.
          船乘り達 出る.
船乗り. 神の祝福を.
ホレイ. 同じくそちらへも.
船乗り. いや,さう願ひたく.こゝに御書狀を.差出しは,
    大使のお方,イングランドへ向かはれた.あなたの御名が,
    ホレイショーとなら,まあ,さう伺つて.
ホレイ.  ホレイショー,讀み了へたら,この連中を,
     王に取次ぐ算段を.書狀を持たせてある.
     それが海へ出(で),二日と經ずに,
     (いくさ)仕立ての海賊船に跡を附けられ,
     こちらは船足の遲きを覺(さと)り,
     (や)む無く戰ひを.その爭ふ中(うち)
     相手の船へと乘り込んだ.と,その時連中が,
     船を引き離し,(ひと)りこちらは虜(とりこ)にと.
     これ迄の處,扱ひは良く,情深き義賊の(おもむ)き.
     いや何,何(いづ)れ,思はくありで,見返りを得ようとの事.
     王へ書狀を渡したら,直ちにこちらへと,ともかくも速(すみ)やかに.
     耳に入れて置きたい事が.聞けば言葉を失はう.
     いや,言葉では,到底及ばぬ顚末(てんまつ)が.この連中が案内を.
     ローゼンクランツとギルデンスターンは,
     そのまゝイングランドへ.この件につき,話も.
     それでは.            二心無き友,ハムレット.
    では,取繼がう,そちらの書狀を.事は手早く.
    すれば直ちに,こちらも書狀の主(ぬし)の許へ.       退る.

ハムレット SCENE 16

ハムレット Hamlet 飜譯一覽
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Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
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『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

Scene 16
ホレイショー,ガートルード,廷臣(Gentleman)一名 出る.王城の一室.
1   女王. 今,あの娘御と,話などは.
     廷臣. それが,聞き分けず,最早(もはや)眞面(まとも)では.
      どうか憫(あは)れと思(おぼ)し召(め)して.
     女王. 何の話がと.
     廷臣. (しき)りに父親の事を.何でも,企(たくら)み事を,
      耳にしたからと,咳(せき)込んでは胸を叩(たゝ)き,
      悔(くや)しげに地蹈鞴(ぢだんだ)を踏み,疑ひとやら,
      半ばゝ筋の通らぬ事を.話に意味などは.只その,
      取留めなさが,聽(き)く者の心を捉(とら)へ,
      皆聽(き)き入つて,言葉を綴(つゞ)り合はせては,
      思ひ思ひに推(お)し量り,また,目配せや頷(うなづ)きや,
      その身振りから,今やおのおの,定かならねど,
      惡しき事を思ひ浮かべて.
5  ホレイ. 出來得れば,話をされては.このまゝでは,
      あらぬ疑ひを,惡意を抱く者の心に.
     女王. では,通すが良い.
                              オフィーリア 出る.
    [傍白](や)んだ魂には,罪有る者の常,一〻の事が,
      大きな禍ひの前觸れかと.募(つの)り來る疑ひこそは,
      罪の徵(しるし).怯(おび)ゆる心が,この身を苛む.
    オフィ. [ポローニアスの口調にて](いづ)れにと,
      見目麗しき,デンマークの奧方樣は.(註1)
     女王. これは,オフィーリア.
          オフィ. 唄ひ出す.[歌は女聲]
    オフィ.      御こゝろ定めし,その殿御,
         如何にて御探し得ませうや.
         貝をあしらふ巡禮(じゆんれい)の,
         被(かぶ)りの物に,旅の杖,
         その素足には,サンダルを.(註2)
    [本物の巡禮ではなく,假面舞踏會での事であらう.]
10   女王. あゝ氣の毒に.何故また,その歌を.
    オフィ. それ,いや先づ,お聽きを.[ポローニアスの口調.歌は女聲.]
        (な)が人,既に,身罷(みまか)りぬ.   歌
        (つむり)あたりは芝草の,
        緑に深く飾られて,
        その踵(きびす)には,墓の石.
      お,ほう. 
          [こゝもポローニアスの.今日も Santa Claus などの老人言葉.]
     女王. どうか,オフィーリア.
    オフィ. よく,お聽きを. [ポローニアスの口調.歌は女聲.]
        白きこと,死出(しで)の衣(ころも)は,嶺の雪
            國王 出る.
     女王. あゝ,あれを御覽に.
15  オフィ.    飾れる花も,馨(かぐは)しく,
        たゞ憫(あは)れなは,墓場へと,
        向かふ軀(むくろ)に注(そゝ)がるゝ,
        (いと)しむ人の,淚無し.
     國王. 變りは,お娘御.
    オフィ.  [この臺詞全體が,ポローニアスの口調.]
      これは,お蔭さまにて.それが,梟(ふくろふ)は,
      元,パン燒き屋の娘とか.貧しい身形(みなり)の,
      主(しゆ)を欺いた罰で.(「貧しい身形」以下は,譯者が插入)
      まこと,目先見ゆれど,末(すゑ)は知れぬもの.
      では,感謝の食事を.(註3)
     國王. 幻に,己が父親を.
    オフィ. まこと,皆樣,さうした言葉はお愼(つゝし)みを.
      が,その意味はと問はれたら,このやうに. 
           [ポローニアスの口調.歌は女聲.]
        明日こそヴァレンタイン樣の日で,
        誰より早く,夜明けより,
        あなたの窗邊(まどべ)に身を寄せて,
        ヴァレンタインの乙女子に.
        は目覺め,身支度し,
        小部屋の窗(まど)を開け放ち,
        娘を引き入れ,その後(のち)は,
        離れもやらぬ,仲となり.
20   國王. 哀れ,オフィーリア.
    オフィ. では,言はずもがなの,その結末を. 
        [こゝもポローニアスの口調.歌は女聲.]
        ヱス樣と,愛の聖(ひじり)樣,
        口惜しや,何と,情けなや.
        男といふは,見勝手な,
        (きざ)すがまゝに,罪作り.
        かうした仲と,なる前は,
        末は夫婦(めをと)と,言うたでは.
      男は,すると, [ポローニアスの口調.]
        如何にも女房に,してもゐた.
        あの時,閨(ねや)へ,來ぬとなら.(註4)
     國王. 何時から,この樣に.
    オフィ. どうか總ては善き方へ.堪へ忍んでこそ.
       [女口調になり]でも泣かずには.
      亡骸を,冷たい土に埋めると聞けば.
      お兄樣の耳にもこれを.
       [ポローニアスの口調に戾り]
      では,こちらこそ御(おん)禮を.
      お言葉を賜りまして.馬車をこちらへ.
      おやすみを,奧方樣方.御親切に.
      おやすみなされませ.            退る.
     國王. すぐ,あの後を.目を離すな.賴む.    ホレイ.等退る.
      おゝ,まさにも毒藥.人を蝕(むしば)む餘りの悲しみ.
      總ては父親の死を切つ掛けに.それ,あの姿を.
      おゝ,ガートルード,ガートルード.
      悲しみの人を襲ふや,一度(たび)ならず,群を成して.
      初めにあれの父が殺められ,次にそなたの息子が城を去る.
      しかも,無謀な振舞ひゆゑの,國拂(ばら)ひ.
      人心は動搖し,先の見えぬ不安から,
      ポローニアスの死の經緯(いきさつ)を噂する.
      こちらも,手際拙(つたな)く,急(せ)かすが如くの埋葬を.
      憐れ,オフィーリアは己を失ひ,分別も失せ,
      つまりはたゞの繪姿か,獸(けもの)さながらに.
      止(とど)めは,これら總てに等しき出來事が.
      あれの兄が,密かにフランスより戾り,疑ひを募らせしまゝ,
      姿を晦(くら)ませて.いや,事缺(か)くまい,あれの耳へ,
      禍〻(まがまが)しげに,父親の死を吿げる輩(やから)には.
      やがては,謂(いは)れ無く,この身を詰(なぢ)る聲〻は,
      人の耳から耳へと.おゝ,何と,ガートルード,
      あたかも碎け散る砲彈となり,この身を幾たびもの,
      死へと追ひ遣るのだ.         舞臺裏にて騷ぎ
傳令 出る.
        誰か.どこだ,スイスの衞兵は.扉を固めよと.
      何があつた.(註5)
25   傳令. お立ち退(の)きを.海原の,津波をなして,
      大地を吞込む樣をも凌(しの)ぐか,あのレィアティーズが,
      暴徒を率ゐ,警護の兵を組伏せて.群衆は彼を頭目と崇め,
      あたかも今こそ世の初めなりと,古(いにしへ)よりの,
      法も定めもあらばこそ,口〻に,レィアティーズを國王にと,
      帽子を打振り,拳を突上げ,天にも屆けと,
      レィアティーズを國王にと.
     女王. 何を浮かれて,あらぬ方(かた)への吠え立てを.
舞臺裏にて騷ぎ
        こゝに獲物など.役立たずの,デンマークの犬どもが.(註6)
レィアティーズ が一團とともに 出る.
     國王. 扉が破られた.
    レイア. どこだ,國王は.賴む,皆は扉の外で.
     皆〻. いや,共に中へ.
30  レイア. 賴む,願ひを.
     皆〻. 分つた,分つた.
    レイア. 禮を言ふ.扉に見張りを.おゝ,この惡逆の王.
      返せ,父上を.
     女王. (おだ)やかにと,レィアティーズ.
    レイア. 血の一滴(しづく)たり,穩やかなれば,この身は母の,
      不義の子供.父は寢取られ,母へは賣女(ばいた)の烙印を,
      あらうことか,操(みさを)堅かりし淸らな額(ひたひ)に,
      押すも同然.
35   國王. どうしたといふ,レィアティーズ,そなたの謀叛の,
      仰〻しさは.構ふな,ガートルード.案ずるな,王を.
      もとより神の加護の垣根が,王の身に.逆賊どもの,
      目には見えまい,が,何ほどの事が出來ようぞ.
      申せ,レィアティーズ.何ゆゑかくは憤る.
      構ふな,ガートルード.述べるが良い.
    レイア. どこへと,父を.
     國王. 死んだ.
     女王. が,このひとには,何も.
     國王. 構はず言はせよ.
40  レイア. 何故(なにゆゑ)に死んだ.受けぬぞ,誤摩化しは.
      地獄へ呉れてやる,臣下の誠(まこと)など.
      誓ひも奈落の魔王へと.人の心も神の惠みも,
      底無き地中の闇にへと.祟(たゝ)らば祟れ.
      もはや退(ひ)かぬ.この世の命も,後(のち)の世も無し,
      ならばなれ,思ひはたゞ一つ,父の仇を取らうのみ.(註7)
     國王. 誰に止められう.
    レイア. 誰にもだ,この世總てが懸かつても.その爲ならば,
      僅かな傳(つて)をも逃すまい.やがて功を奏しよう.
     國王. したが,レィアティーズ,もし,眞相を知りたくば,
      これが仇討ちの筋書きに,適(かな)ふ事か,手當(あた)り次第,
      友と敵(かたき)の見境ひも無く,勝ちのみ取る事が.
    レイア. いや,たゞ父の,敵どもをこそ.
45   國王. では,知りたくは,その者どもを.(註8)
    レイア. 父の味方なら,かうして兩の腕(かひな)に迎へ,
      命を雛に捧げるペリカンに倣(なら)ひ,己が生き血をも,
      與へませう.
     國王. いや,やうやくの,親を思ひ,道を辨(わきま)ふ武人の言葉が.
      この身に科(とが)無き,お前の父の死.が,どれほど今も,
      心傷めてか.やがて知れよう,お前の心にも.
      日差しがその目を射る如く.
舞臺裏にて騷ぎ.
     皆〻. 娘御を中へ.
オフィーリア 出る.(註9)
    レイア. どうした,何を騷いで.
      おゝ,湧き來る熱よ,腦髄を干し上げよ.
      涙よ,彌(いや)増す悲しみの鹽(しほ)で,目の働きを灼(や)き潰せ.
      必ずや,お前の狂氣を償はせてやる.
      正義の女神の,秤を覆(くつが)へしても.
      おゝ,咲き初(そ)めし薔薇,愛しき乙女,妹よ,
      心優しきオフィーリア.おゝ,天よ,乙女の心が,
      老いたる者の儚(はかな)さに,
      よもや似てとは.
50  オフィ.  亡骸の,面(おもて)も覆(おほ)はで,
        輿(こし)に載せ,
        (ヘイ,ノン ノ ニ,ノニ,ヘイ,ノニ)

        墓へと注がる,雨なす淚.
        やすらかに,愛しきお方.
    レイア. 正氣のお前が,仇(あだ)をと請(こ)うても,
      これ程,心打たれまい.
    オフィ.  さあ,あなたは,‘しとゞ,しとゞ’ とよ.
      それに應(こた)へて,あなたは,‘とゞ,しとゞ ’.
      まあ,何て絲紡(いとつむ)ぎにぴつたりな.
      肚黑の執事,主(あるじ)の娘を盗んだは.
       [上の行のみ,ポローニアス口調でも可か]
    レイア. 意味無き樣が,更にも胸を.
    オフィ. これはローズマリー.譯(わけ)は忘れな草.
      どうか私を忘れずに.それとパンジー,物思ひの花.
55  レイア. 教へが狂ふた言葉にも.思うて忘る勿(なか)れと,まさに.
    オフィ. この[阿(おもね)り草の]フェンネルは,あなたに.
       [二心の]コロンバインも.悔い改めのヘンルーダは,
      あなたに.それと,少しはわたしにも.
      またの名が,安息日の御(み)惠み草だもの.
      あなたはかう附けて,私とは別.
      それとデイジー,[噓つきの].本當は,[忠實な](すみれ)草を.
      でも,皆,枯れて,父上の亡くなつた,その時に.
      聞けば見事な御最期と.
      [花の説明[ ]は原文には無い.上演時には適宜に.]
        凛〻(りり)しいロビンは,
        わたしの總(すべ)て.
    レイア. 憂ひや惱み苦しみや,地獄でさへも,あれが語れば,
      好もしく,愛(いと)し氣にさへ.
    オフィ.   戾りはせぬか,今一度.
        戾られぬか,ふたゝびは.
        いゝえ,今は,亡き人に.
        そなたも死出の臥所(ふしど)へと.
        二度と歸らぬ,人なれば.
        その顎髯(あごひげ)は,白き雪.
        髮は薄茶の,亞麻の色,
        今や亡き人,亡きお方,
        歎きも今は,何とせむ.
        御(み)惠みを,その魂に,
        總てのクリスト教徒へも
      倖ひや,あれ.  [オフィ.とガート. 退る.](註10)
    レイア. これを御覽か,おゝ,神よ.
60   國王. レィアティーズ,是非ともお前の歎きを倶(とも)に.
      いや,拒むとなら,直ぐに外の仲間から人を選りすぐり,
      お前とわたしの話から,事の眞僞の見窮めを.
      もし王自ら,または人を用ゐ,手を下したとなら,
      我が王國を差し出さう.王の冠,我が命,
      總ての具はる,物をお前へ,悦びをもつて.
      が,違ふとなら,進んで暫し,心を王に委ねるが良い.
      ならば王も心を碎(くだ)かう,お前の思ひの滿ち足りる迄.
    レイア. さう致しませう.父の死の樣(さま),密かな埋葬,
      墓には譽れの,劔(つるぎ)も紋章も無く,榮(は)えある儀禮も,
      葬送の式も.聞こえるのだ,天からの聲の如く,
      必ずや,これを糺(たゞ)せと.
     國王. それがよい.罪ある處に,大いなる斧を下させよ.
      まづは奧にて.              退る.



(註1)オフィーリアの此の第一聲は,加筆插入したト書きのとほり,自らが父ポローニアスと成り切つての臺詞となる.ガートルードへの世辭に滿ちたこの文言は,オフィーリアの獨創ではなく,日頃のポローニアスがガートルードの許を訪れた際に,好んで用ゐたものであると考て良い.つまり,狂つたオフィーリアは,父親の不在を自らが父を演ずる事で埋め合せてゐるとも言へようか.
 何れにしても,オフィーリアが正氣で無い事は,場面の冒頭,廷臣の報吿により,觀客は既に承知させられてゐる.そのまゝ如何にも有り觸れた狂女の登場を豫測するところへの,此の登場である.完璧に正氣を失つた姿を觀客に印象附ける場面となる.まことに見事な作者の工夫と云ふ他は無い.豫想をさせて,それを上囘る趣向を作り出す事は,まさに作者の醍醐味とも云ふべきであつたらう. 
 さて,狂つたオフィーリアは二度に分けて登場するが,一度目の登場に關しては,その後の『臺詞』部分も殆どはポローニアスの口調となる.それを見たクローディアスは,この後 ”Conceit vpon her Father.” と語るが,これは「自身が父親との妄想を」の意である.
 ところが,從來はこれを,オフィーリアがその直前に語る ”we know what we are, but know not what we may be.”(目先見ゆれど,末(すゑ)は知れぬもの.)の臺詞により,突如死に見舞はれた父ポローニアスの運命を思つてゐると解し,これに對してクローディアスが感想を述べるかに扱ふが,それではオフィーリアに何らかの『正氣』が殘つてゐる事となり,觀客は混亂させられるばかりである.誤讀といふ他は無い.
 同じやうな『誤讀』に,この第一聲を,もはや心身ともに美しさ失つたガートルードへの皮肉とするかの解釋や上演もあるが,他者へのさうした關心を持てる餘地があるならば,正氣を取戾す事も出來得ようともなり,不適切である.オフィーリアには,もはや正氣の缺片(かけら)すらも失はれてゐると見るべきで,その他,怒りを含んで登場させる演出もあるが,ともども中途半端な場面となり,『深讀み』が卻つて觀客を混亂させる.
 かうした『誤讀』が生じる原因は明らかで,この一度目の登場の全體像が,まつたく見失はれたまゝ,部分の解釋に飜弄させられてゐる爲だ.


續く二度目の登場では,ポローニアスの影は無くなり,無邪氣な狂女の姿での登場となる.つまり二つの登場は,まことに見事に描き分けられてゐる.二度に分けての登場を批判する論も見掛けるが,的を外した議論と言ふ他は無い.
 さて,知る限りの飜譯本は,總てオフィーリアの臺詞を女言葉で飜譯してゐる爲,この飜譯で示した樣な解釋など,讀者には思ひも附くまい.また,そもそも底本とされた英文校訂本も,『ポローニアスを演ずるオフィーリア』といふ視點を全く缺く爲に,この後の臺詞の遣取りが,ちぐはぐで薄ぼんやりとした意味不明なものとなる.(なほ,以前この場面を,坪内逍遙ならびに戸澤姑射譯は老人の口調として正確に飜譯してゐると書いたが,ちと『早とちり』で,彼らも『女口調』として譯してゐる.訂正する次第.)
 ところで,この第一聲の臺詞にある beautious 「見目麗しき」の單語は興味深い.と言ふのも,第7場でポローニアスは,ハムレットの戀文の文言を批判してゐるからだ. beautified (「見目整ひたる」と飜譯)の單語が其れで,オフィーリアが日頃のポローニアスに成り切つてゐるとすれば,ポローニアスはこの單語 beautious をこそ,望ましいと考へて ゐたと言へようからだ.

 尙,オフィーリアは そ れなりに正裝で登場する.何かしらポローニアスの衣裳の一部または持ち道具を身に着けてゐても良いと考へる.今日オフィーリアが裸足や寢間着姿で登場する上演が跡を絶たないが,譯の解らぬ思ひ附きだ.おそらくは17世紀後半の女優の出現から始まつた『惡習』であらう.芝居を觀たいのか,女を見たいのか,譯の分からなくなつた時代の産物である.
 ともかくも,如何なる王宮であれ,そもそも寢間着姿での徘徊はあるまい.人〻が,寢間着姿の娘の言に,耳を傾ける事も考へ難い.更に,第18場でガートルードの語るオフィーリアの溺れ死ぬ樣子とまつたく整合しなくなる.寢間着姿で水に落ちれば,暫く水に浮かぶどころか,忽ち姿は見えなくならう.尠くとも初演當時は有り得ぬ服裝である.近代以降の發明である女の『下着』も無かつた時代が初演でもあるのだから.


(註2)

(註3)父親の晩餐の禱り(grace)役を眞似てゐる.第7場 クローディアスがポローニアスに,歸還した大使たちの招き入れを促す臺詞に對應.日頃ポローニアスは晩餐の席において,禱りの先導役を演じてゐたのである.こゝを『ポローニアスの口調』すなはち『ポローニアスに成切つての臺詞』と解釋しないと,次の國王クローディアスの臺詞は,意味不明なものとなる.前(さき)に述べた Conceit vpon her Father. の臺詞だ.

(註4)ところで,この歌は,オフィーリアが自身の『失戀』を,そのまま歌つたものでは無い.ポローニアスに成り切つてゐる事を理解出來れば,父親の説教もしくは教訓の一部であることが判らう.隨つて,この歌からハムレットとの何らかの情交關係を類推する事は,全くの誤りとなると考へる.

(註5)スイスの傭兵は,當時廣く王族のボディーガードとして用ゐられた.クローディアスには,始終彼らが身邊の警護をしてゐた事が判る.警戒は嚴重でもあつたのだ.

(註6)第12場でクローディアスに,ハムレットについての僞りの報吿をして以來,ここまでクローディアスの度〻の呼掛けにも殆ど應へてこなかつたガートルードが,苛立つやうに言葉を發する.心の中の激しい葛藤が,目に見えるやうである.

(註7)レィア ティーズの臺詞には,この後も折〻,瀆神と言つて良い文言が插入される.ともかく敵を抹殺出來るなら,卑劣な手段を用ゐても(實際この後,ハムレットを欺き毒殺する事になるが)良しとする譯だ.たゞし,その思ひを,遙かに上手の惡黨であるクローディアスに利用される事となる.ハムレットの求める復讎とは全く對稱的に描かれる.

(註8)レィアティーズが「敵ども」enemies と複數形を用ゐたのを受けてゞあるが,クローディアスも「者ども」themと複數形で問ひ返す.ガートルードの手前,ハムレットを庇ふ素振りを見せてゐると言へよう.]

(註9)この登場には冒頭場面のやうなポローニアスの影は,無い.基調は狂女の演戲で良い.時折,ポローニアスと成切る臺詞と扱ふことも,可とは思ふが,そこは適宜に.

(註10)オフィーリアの退場は 1623年版(F1)のものに隨つたが,問題あるまい.問題はガートルードだが,指示書きは何も無く,場の最後まで殘ると讀めるのだが,この後クローディアスはレィアティーズに,復讎を唆す臺詞を述べる.これをガートルードは聞かぬ事にした方が良いのではと考へ,こゝでの退場とした.また,次の場でガートルードは,オフィーリアの溺れ死んだ樣子を報吿に現れる.多少ともオフィーリアの傍にゐたとの印象があつた方が良いのでは無いかとも考へるが,如何であらうか.