2013年10月19日土曜日

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その3

ハムレット Hamlet 飜譯版:
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5 
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11 
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18 
Scene 19 Scene 20

『マクベス Macbeth(下書き)』は,こちら
                                      

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その3

さて,その他には,これを一種の『皮肉』と捉へる見方がある.「かつての(心身ともに)美しかつた女王は,もはやゐなくなつた,何處にゐるのか」との含みでは,と言ふのだ.

たしかに物語の流れからすると,觀客にとつて,理解出來ぬ『皮肉』ではない.しかし,それを強調することは,をかしな見方だ.觀客がどう受け取らうとも自由であるが,オフィーリアが『皮肉』を述べる必然性が無い.

つまり尠くとも,オフィーリアは狂ふ以前,實は女王が,穢れた女性であるとの認識を持つてゐたとしなければならぬ事となり,それは,この場までの展開からすると,あり得ぬ事だ.また,なにも觀客の立場からの見方に,登場人物が與(くみ)して,舞臺を拔け出す事は無い.あくまで,芝居の中の人物なのだから.

もちろん,かうした,圖らずも生まれる『皮肉』な局面を,ハムレットに限らず,シェイクスピアは『多用』してゐる.しかしそれは,偶然の齎すものとの範圍においてゞあつて,この場面で言へば,オフィーリアが『神』の如く,總てを見通す者として登場するなどはあり得ぬ事だ.

それにしても,何故かう芝居を,何事か『哲學的』なメッセイジを傳達する爲の『手段』のやうに考へるのか,まことに不可解と言ふ他は無い.


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