『ハムレット』飜譯版:
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18
Scene 19 Scene 20
僕の飜譯では,Scene 16 の冒頭,狂つて登場するオフィーリアにつき,歌を除く臺詞に關しては,ほとんど『自身がポローニアスとなり周圍に應對する』ことゝしてある.狂氣となつての一度目の登場の事だ.
なほ,同場二度目の登場では,逆に臺詞の殆どは,單に『狂女』の振舞ひとなる.(二度目では,一箇所『ポローニアス』として臺詞を言ふ.一度目の『片鱗』を殘してのこと.)
さて,さうした僕の『發想』(と言つても僕は,シェイクスピアはその樣に書いたと信じてゐるのだが…)が生まれた切つ掛けは,僕が從來の飜譯本に,尠くともこの場面につき,『退窟』を覺えた事にある.つまり,「オフィーリアは何故『しつこく』も,二度にわたり,同じやうな『狂氣』の姿で登場するのか…」と,不思議でならなかつたのだ.
また,もしこの役を,僕(まあ,若き日の僕)が演ずるとなつたなら(因みに僕は『女優』に殆ど興味無く,『生身の女は芝居を毀す』論者である.あくまで『女優』に關してだが),「どの『面(つら)』をさげて二度にわたり出て良いものやら」と,戸惑ひ,途方に暮れた事であらう,などゝ想像したりもした.だとすれば,「シェイクスピアはこの場の『處理』に,ドジを蹈 んだか…」とまで,考へたのだ.
以上は,この場を譯し始めるまでの『感想』である.
はて,しかし,ハムレットの飜譯本を讀まれる方〻は,さうした思ひを抱かぬものだらうか.『退窟』を覺えぬものか.『世界的名作』などゝ,構へて讀まずに見たならば,二度に分けての登場は,たゞそのまゝでは,舞臺が『ダレる』とは思はぬものか.日本語譯では『女言葉』で譯される爲,なかなか『疑問』を插(さしはさ)むのは,難しからうが….
(ついては皆〻樣より,コメントを賜りたく「乞ひ願ひ奉りまする」の次第にて…)
(この項,續く)
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