2012年10月23日火曜日

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その1

                                      

『Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.』などゝ書き始めたところ問題が,『續出』といふか,實は,本題の『結論』が朗唱上の些事わたり,あまりに呆氣(あつけ)無くなりさうで,更には『日本語』の問題が,あれこれ眼につき手が止り,そこで些と『お休み』にして,『ハムレット』飜譯のことを,書く.(まあ,既に長〻休んではゐるが…)


『ハムレット』第16場(4幕5場とも)の解説について.その1

(『加筆』は Scene 16 で確認のほどを…と.)

僕の飜譯では,Scene 16 の冒頭,狂つて登場するオフィーリアにつき,歌を除く臺詞に關しては,ほとんど『自身がポローニアスとなり周圍に應對する』ことゝしてある.狂氣となつての一度目の登場の事だ.


なほ,同場二度目の登場では,逆に臺詞の殆どは,單に『狂女』の振舞ひとなる.(二度目では,一箇所『ポローニアス』として臺詞を言ふ.一度目の『片鱗』を殘してのこと.)


さて,さうした僕の『發想』(と言つても僕は,シェイクスピアはその樣に書いたと信じてゐるのだが…)が生まれた切つ掛けは,僕が從來の飜譯本に,尠くともこの場面につき,『退窟』を覺えた事にある.つまり,「オフィーリアは何故『しつこく』も,二度にわたり,同じやうな『狂氣』の姿で登場するのか…」と,不思議でならなかつたのだ.


また,もしこの役を,僕(まあ,若き日の僕)が演ずるとなつたなら(因みに僕は『女優』に殆ど興味無く,『生身の女は芝居を毀す』論者である.あくまで『女優』に關してだが),「どの『面(つら)』をさげて二度にわたり出て良いものやら」と,戸惑ひ,途方に暮れた事であらう,などゝ想像したりもした.だとすれば,「シェイクスピアはこの場の『處理』に,ドジを蹈 んだか…」とまで,考へたのだ.


以上は,この場を譯し始めるまでの『感想』である.


はて,しかし,ハムレットの飜譯本を讀まれる方〻は,さうした思ひを抱かぬものだらうか.『退窟』を覺えぬものか.『世界的名作』などゝ,構へて讀まずに見たならば,二度に分けての登場は,たゞそのまゝでは,舞臺が『ダレる』とは思はぬものか.日本語譯では『女言葉』で譯される爲,なかなか『疑問』を插(さしはさ)むのは,難しからうが….



(ついては皆〻樣より,コメントを賜りたく「乞ひ願ひ奉りまする」の次第にて…)


(この項,續く)

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