『ハムレット』飜譯本文:
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18
Scene 19 Scene 20
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18
Scene 19 Scene 20
Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.(4)の補の補.
前囘「(4)の補として.」で,僕が拍数を『指折數へた』短歌といふのは,石川啄木の歌であつた.これを憶ひ出したのは,小中學の授業で刷込まれたせいであらう.
ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聽きにゆく
この歌の「そを聽きにゆく」は七拍での言ひ切りとなる.この爲『八拍目』の指が,宙に浮く.僕は『八拍目』が消えることも起るのだらうか,すは一大事と,まづは困り果てたのだ.
それが誤解であつたと判明した理由は,前囘記したとほり,『二度詠み』を思ひ附いたからである.歌を續けて二度詠まうとすると,必ず最終句の末に,いはゞ『休符』を入れないと,次が續かない.無理遣り立續けに詠むと,『棒讀み』にならざるを得ない.趣きも何も消し飛ぶことゝなる.
つまり『八拍目』は,單に『文字』を持たなかつただけで,消えてなくなつた譯ではないのである.
この歌を,例により,黑丸附きで表記すると,以下のやうになる.
ふるさとの ● ● ● /
● なまりなつかし /
ていしャばの ● ● ● /
ひとごみのなかに /
そをきゝにゆく● /
『八拍』のリズムは,やはり,この歌の全體を『蔭で支配』してゐると言つて良い.
また,四句目は,いはゆる,『七文字』との縛りから言へば『字あまり』であるが,何ら違和感を抱かせぬ.本來の八拍を,餘すこと無く用ゐたといふだけの事だからだ.
ところで僕は,前囘の『補足』を書いた時點では,「短歌および和歌の類ひは.すべて最終句末に『休符』が附くもの」と,生來の粗忽がたゝり,早吞込みして文を綴つてゐる.
しかし,「すべて」では無く,他に,句頭に『休符』を置き,第八拍目で句切り良く終るものもある.こちらは,續けて二度詠まうとも,歌の趣きを損ふことは無い.リズムが保たれるためである事は,言ふまでもない.例を,以下に,『黑丸』附きで示す.
こちふかば ● ● ● /
● にほひおこせよ/
うめのはな ● ● ● /
● あるじなしとて /
● はるなわすれそ / 菅原道眞 (初出は「はるをわするな」)
こゝろなき ● ● ● /
● みにもあはれは /
しられけり ● ● ● /
しぎたつさはの ● /
● あきのゆふぐれ / 西行
ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聽きにゆく
この歌の「そを聽きにゆく」は七拍での言ひ切りとなる.この爲『八拍目』の指が,宙に浮く.僕は『八拍目』が消えることも起るのだらうか,すは一大事と,まづは困り果てたのだ.
それが誤解であつたと判明した理由は,前囘記したとほり,『二度詠み』を思ひ附いたからである.歌を續けて二度詠まうとすると,必ず最終句の末に,いはゞ『休符』を入れないと,次が續かない.無理遣り立續けに詠むと,『棒讀み』にならざるを得ない.趣きも何も消し飛ぶことゝなる.
つまり『八拍目』は,單に『文字』を持たなかつただけで,消えてなくなつた譯ではないのである.
この歌を,例により,黑丸附きで表記すると,以下のやうになる.
ふるさとの ● ● ● /
● なまりなつかし /
ていしャばの ● ● ● /
ひとごみのなかに /
そをきゝにゆく● /
『八拍』のリズムは,やはり,この歌の全體を『蔭で支配』してゐると言つて良い.
ところで僕は,前囘の『補足』を書いた時點では,「短歌および和歌の類ひは.すべて最終句末に『休符』が附くもの」と,生來の粗忽がたゝり,早吞込みして文を綴つてゐる.
しかし,「すべて」では無く,他に,句頭に『休符』を置き,第八拍目で句切り良く終るものもある.こちらは,續けて二度詠まうとも,歌の趣きを損ふことは無い.リズムが保たれるためである事は,言ふまでもない.例を,以下に,『黑丸』附きで示す.
こちふかば ● ● ● /
● にほひおこせよ/
うめのはな ● ● ● /
● あるじなしとて /
● はるなわすれそ / 菅原道眞 (初出は「はるをわするな」)
こゝろなき ● ● ● /
● みにもあはれは /
しられけり ● ● ● /
しぎたつさはの ● /
● あきのゆふぐれ / 西行
はじめまして、渡辺知明と申します。
返信削除表現よみという考えで日本語の音声言語の研究をしています。
このリズム論は以前に本で読んだことがあります。
拙著『朗読の教科書』のリズム論も参考にしてくださるとありがたいと思います。
w-tomo 樣へ.
返信削除comment, 御禮申し上げます.
「このリズム論は以前に本で読んだことがあります」との御報せに感謝.著者名など,憶ひ出されましたなら一報下されたく,御願ひ申し上げます.
日本の詩歌,和歌俳句短歌,また歌舞伎の臺詞などゝなると,とかくに字面の文字數のみが注目されて,七五調など,奇數で構成されてゐるとの『常識』が幅を利かせてをりますが,そこで止まるのは,些と妙ではと,何とは無しに考へてをりましたところ,『一小節八拍』に思ひ至りました次第です.
兎も角人間の生理としては,『呼吸』といふやうに,呼氣と吸氣の偶數により,息を整へなくてはなりません.文字を目で追ふだけならば,奇數となるが,たとへば役者は,臺詞のうちの,どこかしらで,奇數の『附け』を支拂ふ算段に迫られます.それが『間』の意味するところです.
今日,『讀む』との單語は,字面を目で追ふことを意味するが,本來『讀む』とは,聲に乘せて『音』を發する事を意味したとのこと.人は誰でも,目で追ふ際にも,心の裡では『聲』に出してゐるのだが,あまりに『理』が勝り,氣附かれ難く,忘れ去られてゐるのが實狀です.
さてまあ,國語に關しては措き,その『一小節八拍』といふ,最も人間の『生理』に適ふ枠組が,Shakespeare の原文すなはち blank verse のうちにも,もしや,『隱されて』ゐはしまいか,といふのが僕の,目下の興味なのですが,まだ明確な結論には,達してをりません.あゝ,しんど….
紹介戴いた御著書『朗読の敎科書』,參考させて戴きます.
以上,御禮かたがた. neverneverland