『ハムレット』飜譯本文:
Scene 1 Scene 2 Scene 3 Scene 4 Scene 5
Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18
Scene 19 Scene 20
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Scene 6 Scene 7 Scene 8 Scene 9 Scene 10 Scene 11
Scene 12 Scene 13 Scene 14 Scene 15 Scene 16 Scene 17 Scene 18
Scene 19 Scene 20
Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.
このところ,シェイクスピアの原文は,如何に讀まれる(朗唱される)べきかを考へ續けてゐたのだが,やうやく解決の絲口が見出せさうなところまで,漕ぎ着けることが出來たので,こゝに幾つかの例を擧げて,その方向性を示してみようと考へた.
シェイクスピアの臺詞といふと,すぐ引合ひに出されるのが blank verse である.その特徵は『弱強(または強弱)五步格』にあると言ふ.iambic pentameter である.つまり,一行の臺詞の中には,弱拍と強拍があり,弱く發音するところと強く發音すべきところが,交互に五囘づゝ出現するといふのだ.
たとへば,とあるシェイクスピア硏究者のサイトでは,Twelfth Night 冒頭の Duke の臺詞を引き,次のやうに解説してゐる.なほ,△ は『弱拍』,▼ は『強拍』を意味する.
△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼
If mu-sic be the food of love, play on.
そして,これに補足して「強い音は長くひっぱるように読むと一層音楽的になる。」としてゐる.
なるほど,これらの説明は,blank verse の大まかな特徵の解説としては,よく見掛けもし,尤もなものではあらうが,では一體,補足の文にある「強い音は長くひっぱるように」とは,どの程度の事を言ふのか,いさゝか雲を攫(つか)むやうな話ではなからうか.
「それを上手く熟(こな)す者こそ,シェイクスピア役者.舞臺に學べ」などの考へ方もあり得ようが,誰でもが,舞臺に接する事の出來る環境にある譯ではない.そして更にである,その『舞臺』といふのが曲者で,演ずる役者により朗唱法は樣〻で,異なるからだ.果して何を『基準』として,役者の巧拙を判斷すれば良いのだらうか.何とは無しの『好み』で解決すればよいのか.
さてである.かうした『五里夢中』の思ひは,Hamlet の飜譯を了へた僕の心にも,長らく憂鬱な影を落し,惱みの種となつてゐた.どうにかこの問題に決著がつかぬものかと『七顚八倒』の有樣であつた.
それがである,ひよんな事から,ある解決法を見出すことが出來た.その方法を用ゐれば,難無く blank verse なるものを,といふより Shakespeare の臺詞の魅力を,心から,理解出來る.つまり,まつたく別の觀方から臺詞を眺めることで,ほゞ誰にでも,感動を呼び起こす事の出來る朗唱法を手に入れる事が出來る.これは,僕にとつては望外の『發見』であつた.
ただし,例によつて,この方法は僕の『獨斷』によるもので,海のものとも山のものとも,この先さらに分析と解説を進めてみなければ,定かではない點はある.だが,尠くともこの僕は,その『朗唱法』で,あらためて Shakespeare の臺詞に感動を覺えたのだ.
耳を傾けて戴く程度には,魅力のある『説』または『冐險の旅』であると,密かに確信する.その詳細は,次囘以降.乞ふ,ご期待をと….
[なほ,この『冐險の旅』は,twitter での『友』,@tonchi_jin こと根本利巳氏との交流により,現在の『地點』にまで辿り著く事が出來たものである.僕のやうな奇妙な『友』に附合ひ,樣〻なインスピレイションを授けて下さり續ける根本氏に,感謝.これからも,よろしくと,願ふ次第にて…. neverneverland0]
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